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【砂の器】和賀が殺人を犯した本当の理由を考察!ハンセン病への差別や偏見が与えた影響は?傑作ミステリーと称される理由に迫る

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B000O78YFM/cinema-notes-22

推理小説界きっての社会派として知られる松本清張のベストセラーミステリーを1974年に映画化した「砂の器」。

日本映画としてもその完成度の高さから歴史に残る一作として人々の記憶に長く留まっている作品です。

ハンセン病という当時としても社会的に取り上げることの難しいテーマを敢えて事件の背後に据えました。

原作を大胆に改変した橋本忍入魂のシナリオの素晴らしさが、この映画の最大の魅力でしょう。

後半、ピアノ協奏曲「宿命」に乗せてカットバックされる和賀英良の一生は、そのメロディーと映像が観る人の魂を揺さぶらずには置きません。

名匠野村芳太郎、名キャメラマン川又昂など当時の邦画界の最高のスタッフと名優たちの演技も素晴らしい本作。

清張が「原作を超えている」と語ったというのは広く知られた有名なエピソードです。

ただ、和賀英良の犯行動機の弱さは原作においても指摘されていたことで、真の動機とは何だったのか、は多くの推測を呼んでいます。

そこにはハンセン病という重いテーマがついて回ることは確かでしょう。

本作が邦画界に燦然と輝く名作文芸作品(ミステリー)となった理由を考察していきましょう。

和賀英良はなぜ犯行に至ったのか

犯行動機の深いところ

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和賀が亀嵩であれだけ世話になった命の恩人でもある三木巡査を殺したのは何故か。

これについては小説でも映画でも、一応は「自分の正体」が露見することを恐れたためとされています。

それはそれで妥当なところでしょう。

確かに出自を偽っていたこと、ハンセン病の父がいまだ存命であること、などは彼の未来を断つのに十分ではあります。

しかし、和賀は「それだけのこと」で三木巡査を殺すものでしょうか。

秀夫が三木のところを脱走したのが原点なのでは

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秀夫が父と別れ、三木巡査の家に世話になっていたものの、そこを脱走します。

恐らくは大阪に行き、和賀家で奉公に就いたのでしょう。その時から三木とは会っていません。

そして父ともあの駅頭での別れ以来会っていないのです。探してもいないようです。

この時期に三木巡査殺害の深い動機が隠されているのではないかと読み取れます。

ハンセン病の影響

原作の舞台は昭和10年代

砂の器 サウンドトラックより ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」

松本清張の原作では、本浦親子が流浪する舞台は昭和10年代に設定されていました。

今は病気の理解も進み、良い治療薬も出来ていますが、当時の偏見と差別は酷いものだったといわれています。

国中が戦争に向かって突き進む中での「隔離政策」は苛烈を極め、罹患者に対する偏見や差別は想像を絶したとされています。

そして映画での事件は昭和46年に起きた

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映画「砂の器」で和賀英良が事件を起こすのは昭和46年。

本浦親子が全国を彷徨うのは太平洋戦争直前という設定です。

しかし、時代が進んでもハンセン病に対する無知、偏見、差別は大きく変わっていませんでした。

和賀英良が恩人三木巡査を殺さざるを得なくなった大きな原因の一つに自分の父がハンセン病患者であることがありました。

現在も療養生活をする父の存在が世間に知られることを恐れたという点は拭い去れない事実でしょう。

身内にハンセン病患者がいる、映画を観る人は当時に身をおいてそのことを想像してみる必要があります。

日本はアジアで初の五輪を終え、もはや戦後ではないといわれる時代になっていました。

そのような時代にあってさえ知識人といっていい和賀が殺人を犯さざるを得ない社会環境が厳然として存在したのです。

映画製作に反対したハンセン病団体

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本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、

全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン氏病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する

引用:ja.wikipedia.org/wiki/砂の器

などの心配があるとして映画の製作を中止するように要請しました。

制作側は、この映画を公開することによる啓発効果を説明しています。

さらにエンド部分に以下のクレジットを付けることで協議会に納得してもらった経緯がありました。

「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。

それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」

引用:砂の器/配給:松竹

これらのエピソードも当時のハンセン病患者ととりまく環境を雄弁に物語るエピソードといえるでしょう。

和賀英良が望んだこと

「宿命」は父へ想いの結晶

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思うに、秀夫は和賀英良となり、自分で自分の道を切り開き音楽の世界で認められるようになりました。

さらに世の中で強い地位を占めるため、政略結婚に出ます。

親思いの秀夫は少年時代に父との関係を封印し、自分が社会を上から見下ろす地位に就くことに執心したと思われます。

ある意味社会に対する復讐という見方もできるでしょう。

ハンセン病に対する差別や偏見から受けた過去のさまざまな仕打ちも当然秀夫の頭にはあったはず。

その傍ら、父との切れない、終わらない関係を「宿命」と題して楽曲に詰め込んだのです。

三木は伊勢から急ぎ上京し、蒲田のスナックで秀夫と対面、強く父との面会を迫ったのでしょう。

しかし、秀夫(和賀英良)の中での父への想いは既に完結していて、その結晶を楽曲にしようとしていたわけです。

結晶である「宿命」の楽想が崩壊する

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父に会ってしまえば楽曲のイメージ・楽想は狂いますし、自分を支えている考えが崩れてしまうかも知れないのです。

従って、面会を強要してくる人の善い三木は昔の恩はあっても取り除いておかなければならなかったのではないかと推察できます。

そして和賀はなぜ、この協奏曲に「宿命」と名付けたかという意味も考えてみたいところです。

一世一代の楽曲にこそ、本当は大好きだった父と自分の背負った切ることが出来ない「宿命」を曲に投影させたとみられるのです。

つまり秀夫の中では完結していた「宿命」の完成と発表を確固とするための犯行だったという考察も可能だと思われるのです。

それを身勝手、ということもできるでしょう。

傑作ミステリーとなった理由

橋本忍の大胆な挑戦と推理を楽しむロードムービーとしての側面

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本作が傑作となったのは原作者も認めた橋本忍による大胆な改変が第一。

「情」の要素を大きく取り込み、日本人のメンタリティに添うように仕上げられたシナリオは見事という他ありません。

さらに小説では不可能なスケールの大きい音楽の導入が挙げられるでしょう。

名優たちの魂の演技も見逃せないところです。もちろん野村芳太郎の演出、川又昂のキャメラワークも忘れてはいけません。

更にいえることは、この映画が優れたロードムービーでもあるという点です。

本作は秋田県・羽後亀田から始まります。さらに出雲亀嵩・伊勢市・山梨県塩山市・大阪市・石川県が登場。

二人の刑事の捜査行と、和賀英良親子の流浪の旅の2つの時間軸と移動軸が上手く重ねられていくのです。

その結果、観客はあちらこちらを旅しながら事件の解決を推理する楽しみを味わうことが出来る仕掛けとなっています。

特に和賀親子の旅では日本の四季の美しい移ろいが親子の過酷な状況を更に切なくする効果を生んでいるといえます。

こうした点から本作はサスペンスの楽しみを増加させるロードムービーとしての魅力も兼ね備えているという見方も出来るでしょう。

優れたテーマ性

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加えて当時も今もまだまだ完全に拭い去れたとはいい切れないハンセン病を大胆に取り上げ、差別と偏見とを殺人というテーマに合体させたこと。

その後「砂の器」はテレビドラマで何回かリメイクされていますが、ハンセン病を背景とした作品は皆無です。

そのテーマ性が光ります。

ミステリーとしては犯人探しというよりも、犯人を殺人という凶行に追い込んだ社会的背景に切り込むスタイルが胸を打ちます。

清張ワールドの完璧な映像化

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橋本忍がプロダクションを作ってまでして本作製作に乗り出した覚悟がどのくらいのものか。その覚悟が名作を生んだともいえます。

社会派ミステリーを書いて日本の闇に潜む問題をえぐり出してきた松本清張。

彼のミステリーと社会的問題点を映像の世界において高い次元で融合したのが「砂の器」なのです。

お遍路姿の親子の映像が目に焼き付いてしまうのは、私たちの心の深いところに語りかけるものがある証拠といえるでしょう。

このようにして映画「砂の器」は、結末が分かっていても何度でも観たくなる邦画の永遠の傑作ミステリーとして輝き続けているのです。