映画「砂の器」で和賀英良が事件を起こすのは昭和46年。
本浦親子が全国を彷徨うのは太平洋戦争直前という設定です。
しかし、時代が進んでもハンセン病に対する無知、偏見、差別は大きく変わっていませんでした。
和賀英良が恩人三木巡査を殺さざるを得なくなった大きな原因の一つに自分の父がハンセン病患者であることがありました。
現在も療養生活をする父の存在が世間に知られることを恐れたという点は拭い去れない事実でしょう。
身内にハンセン病患者がいる、映画を観る人は当時に身をおいてそのことを想像してみる必要があります。
日本はアジアで初の五輪を終え、もはや戦後ではないといわれる時代になっていました。
そのような時代にあってさえ知識人といっていい和賀が殺人を犯さざるを得ない社会環境が厳然として存在したのです。
映画製作に反対したハンセン病団体
本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、
全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン氏病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する
引用:ja.wikipedia.org/wiki/砂の器
などの心配があるとして映画の製作を中止するように要請しました。
制作側は、この映画を公開することによる啓発効果を説明しています。
さらにエンド部分に以下のクレジットを付けることで協議会に納得してもらった経緯がありました。
「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。
それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」
引用:砂の器/配給:松竹
これらのエピソードも当時のハンセン病患者ととりまく環境を雄弁に物語るエピソードといえるでしょう。
和賀英良が望んだこと
「宿命」は父へ想いの結晶
思うに、秀夫は和賀英良となり、自分で自分の道を切り開き音楽の世界で認められるようになりました。
さらに世の中で強い地位を占めるため、政略結婚に出ます。
親思いの秀夫は少年時代に父との関係を封印し、自分が社会を上から見下ろす地位に就くことに執心したと思われます。
ある意味社会に対する復讐という見方もできるでしょう。
ハンセン病に対する差別や偏見から受けた過去のさまざまな仕打ちも当然秀夫の頭にはあったはず。
その傍ら、父との切れない、終わらない関係を「宿命」と題して楽曲に詰め込んだのです。
三木は伊勢から急ぎ上京し、蒲田のスナックで秀夫と対面、強く父との面会を迫ったのでしょう。
しかし、秀夫(和賀英良)の中での父への想いは既に完結していて、その結晶を楽曲にしようとしていたわけです。
結晶である「宿命」の楽想が崩壊する
父に会ってしまえば楽曲のイメージ・楽想は狂いますし、自分を支えている考えが崩れてしまうかも知れないのです。
従って、面会を強要してくる人の善い三木は昔の恩はあっても取り除いておかなければならなかったのではないかと推察できます。