そして和賀はなぜ、この協奏曲に「宿命」と名付けたかという意味も考えてみたいところです。
一世一代の楽曲にこそ、本当は大好きだった父と自分の背負った切ることが出来ない「宿命」を曲に投影させたとみられるのです。
つまり秀夫の中では完結していた「宿命」の完成と発表を確固とするための犯行だったという考察も可能だと思われるのです。
それを身勝手、ということもできるでしょう。
傑作ミステリーとなった理由
橋本忍の大胆な挑戦と推理を楽しむロードムービーとしての側面
本作が傑作となったのは原作者も認めた橋本忍による大胆な改変が第一。
「情」の要素を大きく取り込み、日本人のメンタリティに添うように仕上げられたシナリオは見事という他ありません。
さらに小説では不可能なスケールの大きい音楽の導入が挙げられるでしょう。
名優たちの魂の演技も見逃せないところです。もちろん野村芳太郎の演出、川又昂のキャメラワークも忘れてはいけません。
更にいえることは、この映画が優れたロードムービーでもあるという点です。
本作は秋田県・羽後亀田から始まります。さらに出雲亀嵩・伊勢市・山梨県塩山市・大阪市・石川県が登場。
二人の刑事の捜査行と、和賀英良親子の流浪の旅の2つの時間軸と移動軸が上手く重ねられていくのです。
その結果、観客はあちらこちらを旅しながら事件の解決を推理する楽しみを味わうことが出来る仕掛けとなっています。
特に和賀親子の旅では日本の四季の美しい移ろいが親子の過酷な状況を更に切なくする効果を生んでいるといえます。
こうした点から本作はサスペンスの楽しみを増加させるロードムービーとしての魅力も兼ね備えているという見方も出来るでしょう。
優れたテーマ性
加えて当時も今もまだまだ完全に拭い去れたとはいい切れないハンセン病を大胆に取り上げ、差別と偏見とを殺人というテーマに合体させたこと。
その後「砂の器」はテレビドラマで何回かリメイクされていますが、ハンセン病を背景とした作品は皆無です。
そのテーマ性が光ります。
ミステリーとしては犯人探しというよりも、犯人を殺人という凶行に追い込んだ社会的背景に切り込むスタイルが胸を打ちます。
清張ワールドの完璧な映像化
橋本忍がプロダクションを作ってまでして本作製作に乗り出した覚悟がどのくらいのものか。その覚悟が名作を生んだともいえます。
社会派ミステリーを書いて日本の闇に潜む問題をえぐり出してきた松本清張。
彼のミステリーと社会的問題点を映像の世界において高い次元で融合したのが「砂の器」なのです。
お遍路姿の親子の映像が目に焼き付いてしまうのは、私たちの心の深いところに語りかけるものがある証拠といえるでしょう。
このようにして映画「砂の器」は、結末が分かっていても何度でも観たくなる邦画の永遠の傑作ミステリーとして輝き続けているのです。