さらに、へその緒はライアンが地球の大気圏に突入する際に宇宙船に引っかかったパラシュートにも重なります。
彼女がそれを切って飛び立とうとする様はまさに生まれようとする胎児そのものです。大気圏への突入は精子による卵子へのそれを思わせます。
ライアンが不時着した池は子宮の羊水でしょう。陸地に上がった彼女がすぐに立ち上がるさまもまたメタファー的な演出ではないでしょうか。
宇宙から還った人が地球の重力に慣れるまでには相当な時間がかかるのは周知の事実です。
しかし、ライアンはふらつきながらもすぐに立ち上がります。そのためその姿はシカなどの小動物の誕生を想起させます。
最後のこの演出によってこの映画のテーマが宇宙からの生還ではなかったということが暗示されていたようです。
宇宙船の乗り換えが示す輪廻転生
メタファーとしてライアンが最初の事故で一度死んだのではないかという見方もできます。
事故後、彼女はアメリカの母船からISS(国際宇宙ステーション)の船を経て中国の宇宙ステーション『天宮』に命を預けることになります。
この幾つかの宇宙船の乗り換えは死者が生まれ変わる前にさまざまな母体の間をさまよっていることを想起させます。
彼女はアメリカ人として死に、一度世界中の人種が集まる場所に預けられ、そして中国人として再生するということです。
つまり輪廻転生です。アメリカ人が中国の宇宙船に乗るギャップもその印象を強めます。その宇宙船の名前が『神舟』という点も見逃せません。
なぜ、ほとんどの人がメタファーを見落としたのか
ここまで作中のメタファーについて書きましたが、ほとんどの人はそれに気づけなかったのではないでしょうか。その理由に迫ります。
ライアンがセクシーな母親であること
ライアンが宇宙船で丸くなるシーンは多くの人に胎児のイメージを与えたでしょう。しかし彼女は誕生のメタファー役として最適とはいえません。
ライアンがほぼずっと大きな宇宙服を着用し、それを脱ぐとセクシーであること。そして彼女がすでに子どもを生んだ母親であること。
これらのことが純粋無垢な胎児の誕生というメタファーを曇らせていたことは否定できないでしょう。
この観点からすれば、若い男性を主役にした方が良かったといえるのではないでしょうか。
宇宙と子宮の極端なスケールの違い
宇宙と子宮とは概念的にはつながるものでしょう。マクロとミクロのレベルにおいて、どちらも生命の起源といえる場所だからです。
しかし実際のスケール差はこれ以上なく大きいものです。宇宙が果てしなく広い場所であるのに対し、子宮は小さな生命体の一臓器に過ぎません。
それによって多くの人は、この映画の宇宙から生命誕生のプロセスを想起しにくかったのではないでしょうか。
それでも精子を想起させる大気圏突入など、画的に宇宙と子宮をつなげるシーンは数多くありました。
ディザスタームービーであること
この映画は基本、宇宙で起きたディザスタームービーです。さらに特殊な撮影方法や3Dの劇場公開で臨場感が最大限に高められていました。
ほとんどの鑑賞者はアトラクションに乗って宇宙の危機を追体験する気分で観ていたことでしょう。そのドキドキに心を奪われていたはずです。
メタファーの力を強めるにはアンドレイ・タルコフスキー監督の名作『惑星ソラリス』のようにすれば良かったのではないでしょうか。
『惑星ソラリス』では宇宙空間の多くのことがこの映画よりもメタファーとして生きていました。
それはドラマに比重を置いていたからです。キュアロン監督も映画の時間を伸ばして主人公の物語に力点を置くべきだったのではないでしょうか。