一方で象徴を形にして育てるという行動からは、「恋人を忘れられない気持ち」が見てとれます。
そう考えれば、マチルダにとってレオンとは(レオン同様に)、親であり、子であり、友人であり、恋人であり、家族であり、隣人だったのかもしれません。
「愛情とは何か?」ということを考えさせられる味わい深いラストシーンです。
レオンを語る小道具
レオンを取り巻く小道具たちは、無口でシャイな彼のパーソナリティの代弁者です。作中特に目立った小道具を見てみましょう。
ミルク
強面で黒メガネ。明らかに一般人とは異質な空気をまとうレオン。
同じく完全に「あっちの人」であるトニーに飲み物を勧められ、「バーボン」「テキーラ」あたりを頼むかと思いきやまさかの「ミルク」。
ミルクはある意味では「幼児性の象徴」です。同時に「牛乳を克服した」というのはある種の「少年的な観点からみる成長の証」ともいえます。
また、「潔白」「純粋」の象徴的なカラーです。暗殺者という仕事をしながらも心に少年を宿すレオンの精神性をあらわしたアイテムといえます。
観葉植物
毎日こまめに世話をする、引越しの際も持って出るなど、観葉植物はレオンにとって唯一の心を開ける相手です。
このことは彼の内向的な部分を表わしています(植物を世話するのが内向的というわけではありません)。
また、毎日を限りなく正確に、規則的な決め事を持って生きています。これは「極めて行動範囲や選択が少ないこと」を示しています。
暗殺者の内面は無垢で臆病な少年という対比が殺伐とした描写とあいまって「優しい悲劇」を演出しています。
ボニーとクライド
劇中でマチルダが言う「ボニーとクライドのように」。ボニーとクライドは1930年代に実在した連続強盗殺人犯のカップルです。
当時世界恐慌により不況の真っ只中、さらに禁酒法が施行されたことによってアメリカ国民はフラストレーションを抱えていました。
そうした時代背景によってポニーとクライドは「法を嘲笑う自由な存在」のような受け取り方をされ、いくつかの義族的な行動によって英雄視された一面も持っています。
2人の立場や境遇がポニーとクライドに似ていたこと、または「退屈でつらいこの世界を壊したい」という願望を重ねて、マチルダは例えたのかもしれません。
ポニーとクライドの最後は2人揃って射殺。
「死ぬまで一緒」という意味があったのかもしれませんが、最後にレオンがマチルダを逃がすシーンとの対照的な結末が感慨深いところです。
通常版と完全版
メディアディスクやストリーミングでレオンを観賞する時に覚えておいてほしいのが、本作は2パターン存在しているということです。
どう違うのか?
最初に劇場公開されたのが通常版です。通常版に約22分の未収録シーンを監督自ら加えたものが完全版(ディレクターズカット)です。
マチルダとレオンの恋愛的なかけあいや、マチルダのパーソナリティーを掘り下げる幾つかの描写、銃を取り扱うシーンなどが追加されています。
監督自身の構想では最初から完全版を発表しようとしましたが、道徳的な部分での反対意見があったためやむなくカットしたという経緯があります。
そう考えれば完全版を観た方がより製作者の伝えたいメッセージを受け取ることができます。
ですが通常版でシーンが意図的にカットされることで間を埋めるように想像力で補完したり、思わぬどんでん返しが味わえるなどよいところもあります。
どちらを選んでも「レオン」の魅力は味わえるので、可能であれば通常版⇒完全版の順で観賞してみてください。
まとめ
フランス映画を思わせる絵画的で悲劇的な部分と、ハリウッド映画のダイナミクスやスタイリッシュな魅力を混ぜ合わせた名作「レオン」。
スタンとレオンの対比に目を向ける、2人がどうしてあのような最後を辿ることになったのかを政治的・社会的な部分から考察するなど、「レオン」にはまだまだ楽しみ方がたくさんあります。