かの有名な『アバター』にも用いられており、当時としては非常に画期的な技術でした。
これによって、ポーラー・エクスプレスに乗る子供達の表情にも幅や奥行きが生まれているのです。
サンタクロースを「作り上げる」大人達
子供達とは対照的にポーラー・エクスプレスの大人達は「サンタクロースの存在を本気で信じ、作り上げる存在」として描かれています。
主人公の両親にしても劇中で目立つのは子供達に対して「良い子にはサンタクロースがプレゼントをくれる」という嘘を信じ込ませる描写です。
そんな大人達の特徴は子供達が北極へ行く列車の旅でより顕著に現れていました。
いずれもがどこか「子供の心=想像力」を持った大人達として描かれています。
そして、その中でも一際異彩を放つのがホーボーです。
ホーボーの正体
ポーラー・エクスプレスで「神出鬼没」といっても過言ではないホーボーの正体は果たして何者なのか?ここは解釈が様々あります。
ホーボーは幽霊か?
ホーボーの正体は様々解釈がありますが、よくいわれるのは「幽霊」です。
確かにここぞという時にしか現れず、主人公と過去の車掌の前でしか現れません。
しかし、ただの幽霊なら他の人物の前に現れてもおかしくないし、もっといたずらをしてもおかしくないでしょう。
ホーボーがヒーロー・ボーイと車掌のみに見えた理由
不可思議なのはホーボーが主人公と車掌の前でしか現れず、しかも全く同じアドバイスをしているという点です。
他の子達の前には現れず、あくまで主人公の本心を探るように、「本当にそうなのか?」を確かめるように内側から声をかけています。
本当にホーボーが幽霊なら、このような形のアドバイスを行ったりしないでしょう。
ホーボーは幽霊というより主人公の内なる声がホーボーに姿形を借りて具現化した存在という一種の心象表現と解釈できるのではないでしょうか。
ホーボーは「自由」の象徴
ホーボーは元々19世紀末~20世紀初頭にかけて特定の住居や職業を持たず無賃乗車しながら渡り歩いた放浪者達です。
今でいう所のフリーターやニートに近く、無賃乗車が見つかったら犯罪者のレッテルを貼られます。
そんなホーボーが何故主人公の前に現れたのか?
それはホーボーが「自由」の象徴だからではないでしょうか。
無賃乗車のリスクと戦いながら、常識に縛られることなく新しい道を開拓していく自由の精神。
それは誰しもが子供の頃に持っていた冒険心、どんな危険も厭わない勇猛果敢さ、架空の存在を無邪気に信じる姿と繋がる所があります。
サンタクロースの「虚像」と「現実」
ポーラー・エクスプレスのサンタクロースは「虚構」と「現実」の両方があり、北極の町に着いた主人公達はサンタクロースの現実を目の当たりにします。
行動をモニターで監視し、良い子にはプレゼントを与え悪い子には与えないという話し合いをし、またプレゼントのラップまで行われていました。