出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B000657KMK/cinema-notes-22
劇中で何度も出てくるサムの言葉「いいチョイスだね」には、根拠はないけどどこか確信に満ちていました。
まるで「やる気があればなんでもできる」と言っているようでした。
しかし、登場人物がそれぞれ「チョイス」していく決断は波乱の親権奪還に続きます。必ずしも「いいチョイス」ではなかったのです。
2001年12月28日公開、監督:ジェシー・ネルソン、主演:ショーン・ペン、 ダコタ・ファニングの「アイ・アム・サム」を考察します。
父親役のショーン・ペンがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。娘役のダコタ・ファニングは放送映画批評家協会賞、ゴールデン・サテライト賞、ラスベガス映画批評家協会賞、ヤング・アーティスト賞を受賞し、映画俳優組合賞の助演女優賞にも最年少でノミネートされた。また、当映画は日本アカデミー賞の外国作品賞にノミネートされた。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/アイ・アム・サム
子供は親を“チョイス”できない
ルーシーの母はルーシーを産むと知的障害のあるサムに押し付け姿を消してしまうので、「子供は親をチョイスできない」からと諦めそうです。
また、劇中でも何組かの親子が出てきますがそのどれを見ても、子供は親をチョイスできないという無力感にさいなまれます。
「アイ・アム・サム」では3つのタイプの母親が登場しますが、どの母親も悩みながら生きていました。
- 子を捨てる生みの母
- 忙しすぎるキャリアウーマンの母
- 子供を望むも授からない母
親子の関係は親の考え方や生き方で大きく左右してしまうものです。
子育ては「愛」こそが全て
7歳児程度の知能しかないサムが娘のルーシーを7歳の誕生日まで育てられたのは、サムのルーシーに対する深い愛情があったことにつきます。
その愛情がサムの親友や近隣の友人、職場のスタッフを動かし協力者となったわけです。彼一人の力だけでは育てられなかったでしょう。
その結果ルーシーはたくさんの愛で育まれ賢く純粋に成長したのだと思います。
自我の芽生えが「チョイス」することを忖度する
自分に母親はもどってくるのかとルーシーがサムにたずねたときのシーンでは、ルーシーの自我が芽生えたとわかります。
サム「神様がママを取るのはその人が特別だから」
ルーシー「パパも神様が決めたことなの?」「パパは他のパパとは“違う”」
引用:「アイアムサム」/配給会社:ニュー・ライン・シネマ
このやりとりでサムはルーシーに負い目を感じ自虐的な言葉を発しました。
自我が芽生え始めたルーシーは賢かったがゆえに、幼くして父親の立場を理解し察する能力も身についていたと思います。
善かれと思い世間がとった“チョイス”
ルーシーの通う学校の関係者もまたルーシーを見守り将来を案じている人達です。
悪意ではなく良心から知的障害のある父親の元にいることが適切ではないと判断してしまうのです。
学校がルーシーのために“チョイス”したこと
ルーシーが勉強することを拒否したことで学校側がサムの養育能力がないという判断材料にし、適切な施設へ預ける方向に動かせてしまいました。
サムが学校から呼び出されルーシーの内心を伝えました。このことはルーシーの将来を考え「ルーシーのため」の適切な“チョイス”なのです。