被害を隠し、ロッキーの名前も伏せたのは彼女に対し一生恐怖に怯えて生きていけ、というメッセージだと感じられるのです。
さらに老人の性格からすると、彼はいずれロッキーの目の前にその姿を現し復習にやって来そうな予感も残っているのではないでしょうか。
ロッキーが妹の手を引く姿は何かの象徴か?
ロッキーは老人から大金を奪い妹とロサンゼルスに逃げるため空港にいました。
彼女は幼い妹ディディの手を引いて搭乗口に向かいます。このラストシーンについて考えてみましょう。
唯一の悪でない存在は
先に書いたように、この映画に出てくるのは程度の強弱はあれども、全員悪者です。
唯一、悪でない存在として登場するのはロッキーの妹だけ。幼い彼女は事情を知らず姉に付いてきたのでしょう。
盗んだ大金は盲目を良いことに老人から盗んだ「死んだ彼の娘の示談金」。筋の良い金を盗んだとはいえません。
姉妹の未来の暗示と老人の目の秘密
そうした状況や、老人の事件後の証言などから、ロッキーとその妹の未来に明るさが示されているとは思えないのです。
幼い妹は「無垢」の象徴である一方で、将来彼女と姉ロッキーに降りかかる不幸の伏線・暗示とみることはできないでしょうか。
事実、救急搬送された老人の目は事件の衝撃(スパナで殴られたこと)で見えるようになっていた、と思えて仕方ないのです。
姉妹が手を繋いて駅の構内を歩くバックショットは不安の象徴に他ならないのではないでしょうか。
冒頭のシーンについて
さて、映画のオープニングシーンは、老人が家の外に逃げたロッキーを引きずって中に引き戻すところです。
夜が終わり明るさが戻ってきた街。人気のない道の真ん中を一人の人間を引きずる白髪の男。
人間らしき姿からは一筋の線が出ています。それは血の筋であることが分かります。
引用:ドント・ブリーズ/配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
これはこれから始まる映画の前半の立場がすでに逆転している光景を示したもので、映像としては「ネタバレ」寸前といえるでしょう。
フェデ・アルバレス監督はなぜ冒険を冒してまで重要なシーンを冒頭に置いたのでしょうか。
それはこのシーンがこの映画の全てを語っていると言えるからといえるでしょう。観客はまだ被害者も加害者も分かっていません。
ただ、観客は若者3人組のコソ泥が盲目の老人の家に押し入る、という計画を知った時、冒頭のシーンを思い起こすに違いありません。
すると、若者3人にとんでもないことが起きたのだということを全て物語るシーンを冒頭に置き、恐怖の種を撒いておいたという計算が見て取れます。
新しい恐怖の描き方
「ドント・ブリーズ(Don’t Breathe)」は、この稿の冒頭にも書いたように、「怪物」や「異次元のサイコパス」が出てくる映画ではありません。
「息をするな」のタイトルが示すとおり、人間が恐怖を感じる五感を逆手に取り上手く利用しています。
そして観客の常識の裏をかき、先を読ませない筋書き、ラストまで恐怖が続いていく構造は新しい恐怖の描き方といって良いでしょう。
伏線である、ロッキーのてんとう虫や幼い頃彼女が車のトランクに閉じ込められ折檻された話、脱いだ靴を嗅ぎ分ける老人の嗅覚。
そうしたものも上手く回収されていきます。ただ、よく考えると「それはないだろう」というツッコミどころも散見されます。
88分という短い時間にジェットコースターのような恐怖を観る人に体験させる本作。