本作の原作となったリチャード・マシスンの「地球最後の男」は、主人公を伝説の悪魔としているので、別バージョンは原作に忠実に作られていたのです。
なぜ結末は差し替えられた
結末に関して賛否両論あるのが本作の面白い点でもあります。
ヒーローを好むアメリカ映画ではネビルが怪物だったというエンディングは、どうも受けが良くなかったようです。
主人公は世界のヒーローでいて欲しいという、観客の想いが結末を変える理由になったのでしょう。
別バージョンでは、ダーク・シーカーを生み出した人間に非があるという捉え方です。
また感情移入してきたネビルが悪だったと否定されることで、まるで自分たちが否定された気持ちになったのかもしれません。
結果的に英雄性を選んだ本作ですが、公開前の別バージョンが良かったという意見も多いようです。
アナたちのその後はどうなったのか
希望を託されたアナ達ですが、その後二人はどうなったのでしょうか。
公開版では遺志を継いだかもしれない
ネビルを失った公開版では、アナ達は北部のコロニーで血清を活かし人々を救う架け橋になったのではないでしょうか。
ネビルに出会うまで、二人で生き抜いてきたアナとイーサンにもきっと人とは違う「運や才覚」があったはずです。
きっと彼らの先には、希望ある世界が広がったはずです。
コロニーに医師や科学者が存在していたのかは不明ですが、アナやイーサンがネビルの遺志を継ぎ科学者になったとも考えられます。
別バージョンではネビルの相棒として生きた
別バージョンではネビルも生きており3人で北部へ向かいますが、アナとイーサンはネビルのよき理解者として支えあって生きたのではないでしょうか。
ダーク・シーカーの中に理性を見つけたネビルは、これまでとは違った方法で彼らと共存の道を選んだのかもしれません。
希望はある
あなたは独りではない
引用:アイ・アム・レジェンド/配給会社:ワーナー・ブラザース
このメッセージによって救われたアナ達は、その後もこのメッセージを送り続けたことでしょう。
孤独の中の正気
本作はダーク・シーカーから逃れる恐怖の他に、もう一つの恐怖も描かれています。
それは孤独という恐怖です。
ニューヨークという大都会にたった一人残されるということは、正気を失う恐怖との対面といえるでしょう。
劇中でネビルがDVDをきちんと返却するシーンは、正気を保とうとするネビルの姿なのではないでしょうか。
孤独との闘いも本作の見所のひとつといえそうです。
レジェンドとなった男の「孤独」が恐怖を誘う
本作はダーク・シーカーが恐怖の対象ですが、たった一人で生きなくてはならないという孤独も観る者に戦慄を感じさせます。
もしも自分が世界で唯一の生き残りだったら、生きて行く希望は見出せるのでしょうか。
ネビルは孤独から脱出するために、血清の研究をしていたのかもしれません。
様々な話題を呼んだ『アイ・アム・レジャンド』は2つのエンディングを比較して観るのも面白いのではないでしょうか。