結局事態はあっけなく解決していきます。大事には至らないのです。
このように「不穏な気配」を敢えて設定し、おおごとにはならない状況を描き出すことにより、日常性を強調しています。
しかし、単に「何も起きない」ことを繰り返すだけではないのが憎いところ。
ローラがパターソンに「秘密のノート」をコピーしておくようにくどく言うくだりは後のマーヴィンが起こす事件の伏線となっています。
ジャームッシュの脚本が光るところです。
日本人の詩人が表すこと
土曜の夜、マーヴィンに詩を書き留めたノートをビリビリにされたパターソン。
日曜の朝、気を紛らわそうといつもランチを食べて詩を書いている街の名所、滝が流れる公園にやって来ます。
映画の最終「章」
悄然とベンチに座るパターソン。そこに日本からやってきたスーツ姿の詩人(永瀬正敏)が現れます。
彼はパターソン市が生んだ偉大な詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが好きでこの街を訪れたというのです。
ウィリアムズはパターソンも大好きな詩人。
いよいよ映画はハイライトを迎えます。ウィリアムズというプロの詩人を介して詩人同士の会話が続きます。
このシークエンス全体・セリフのキャッチボールそのものが映画をまとめる「詩」といえるでしょう。「映画詩」の「最終章」です。
パターソンと日本人の会話のやりとりが詩となって宙を舞っているようです。
白紙のノート
日本人の詩人は、パターソンに白紙のノートをプレゼントします。そしてこう語るのです。
白紙のページに広がる可能性もある。
引用:パターソン/配給:ロングライド
詩の精のようなセリフです。パターソンが妻以外に詩の話をするのはこのシークエンスだけ。
なにげない生活の中で詩を書くことは、それを書く人に幸せをもたらすんだよ、とでもいいたそうな日本人の言葉です。
そして、
Excuse me.
A-ha!
引用:パターソン/配給:ロングライド
と言って去っていきます。
この「アー、ハ!」はパターソンとの会話で相づちとして使われてたものの繰り返しです。まさに「脚韻」としての締めくくり。
そして、「秘密のノート」を愛犬にビリビリに破かれたパターソンに再び詩作を促すエールと捉えられるでしょう。
4人の詩人と「水の流れ」
この映画には4人の詩人が出てきます。1人はパターソン。2人目は彼が街で見かけた双子の妹の女の子。
彼女は雨の詩を披露します。なかなか素敵な詩です。
さらに、散歩中にコインランドリーで出会う黒人ラッパー。ラップの詩をノリノリで「韻(ライム)」を作っています。
そして最後に登場した日本人は滝を背景に「詩」を語ります。
それぞれ水を意識したバックグラウンドが示されます。パターソンの家のリビングには小さな「滝」の画が掛けられているのです。
「水の流れ」は何気ない日常と、様々に形を変えるものの象徴として取り上げられていると考えられます。
それはパターソンの生活そのものであり、何も起きないような毎日に隠れている少しの変化の幸せのメタファーなのではないでしょうか。
コミカルな味付けもあり悪人が1人も出てこない「パターソン」。優しさが溢れる世界。
詩情豊かなジャームッシュの世界は、その「詩」を感じつつ、2回、3回と鑑賞回数を重ねるごとに味わい深くなるようです。