バルク社との癒着に言及し、教会として環境問題に着手しない疑問をぶつけるやりとりがトラーを自爆へと導いたのでしょう。
「これも神の思し召しならトロイの時にも一度やっている」
引用:魂のゆくえ/配給会社:A24
この時にトラーはマイケルの残した自爆ベストを使い、250周年の記念行事の日に自爆をするカウントダウンのスイッチをいれたのです。
メアリーはトラーの救世主「セントメアリー」
メアリーは夫マイケルに献身的でした。しかし、夫マイケルの死もある程度予期していたような静かな演出です。
葬儀の様子がネットニュースに取り上げられたシーンでは、実はメアリーの方が過激な環境保護活動家なのでは?とすら感じさせます。
環境活動家の死と残された妻、汚染された地域、ニールヤングの曲という構図で抗議活動が完了したというふうにも観ることができました。
二人の自殺を考察
マイケルとトラーの自殺は動機が同じだと考えられます。
環境破壊への悲観からではなく自爆テロによって多数の人を死傷させようとした行為をメアリーに知られてしまったからでしょう。
マイケルは人に暴力をふるうような争いごとを好まない夫であったし、トラー牧師は聖職者という立場だったからです。
メアリーとハッピーエンド?
250周年に自爆を企てたトラーはメアリーに行事には参加しないよう強く言いますが、メアリーは来てしまいます。
このことでトラーは自爆を断念し洗浄剤を飲んで自殺を図ろうとしますが、そこにメアリーが現れ九死に一生を得たようなシーンになりました。
映画では唐突にこのシーンでラストを迎えますが、ここでも違和感を感じた方はいるでしょう。
トラーが見たメアリーは何者?
式典に姿を見せないトラーを呼びにいったジェファーズは、部屋に鍵がかかっているのでしかたなく席に戻っています。
そのトラーの部屋にメアリーが登場するのは不自然ではないですか?あれは死の間際に見た救世主としての幻想のメアリーではないでしょうか?
トラーはメアリーに救いを求めていたと思います。その思いがメアリーを登場させ最後に本当の魂を解放させたシーンに結びつけたのでしょう。
トラーの「魂のゆくえ」
冒頭にも記しましたが、ポール・シュレイダー監督は映画と出会うまで、このような宗教的な慣習に疑問もあったでしょう。
教会の社会的な役割よりも経済優先で企業とつながる構図や環境破壊への懸念など、様々な矛盾をトラーを通し表現し伝えたのだと思います。
ラストシーンが曖昧な感じで終わったことは、観る人の気持ちでいくらでも解釈がかわります。
私にはどうにもならない日常と現実の救いようのないジレンマとして感じましたが、皆さんはいかがでしたでしょうか?