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2014年に公開された「百円の恋」は第88回アカデミー外国映画賞の日本代表に選ばれるほどの傑作です。
主演の安藤サクが第39回日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞獲得、更に最優秀脚本賞と凄まじい功績を叩き出しました。
本作の武正晴監督は「EDEN」「イン・ザ・ヒーロー」に代表されるメッセージ性の強い作品を手がけておられます。
この時代に久しく見なくなっていたボクシング映画を再生・復活させた本作はその描写の過激さなども相俟って話題性の強い作品です。
今回はそんな「百円の恋」が何故受賞するほどの共感を呼んだのか、一子を中心にタイトルの意味にまで迫って考察していきます。
現代日本の「闇」の縮図
「百円の恋」が賛否両論を呼び、R-15指定された理由はその日常描写が「闇」に満ちていたからでした。
これは2014年という時代性を超えて普遍的とさえ言えるレベルで、兎に角登場人物の過激な言動・行動が目に付きます。
主人公の一子を中心に登場人物が世間一般の「負け組」「底辺」として、これでもかとそのダメ人間ぶりが描かれているのです。
一見過激な描写は現代日本の「闇」のリアルさをまざまざと突きつけてきます。それがどのように成り立つのかを見ていきましょう。
枳棘非鸞鳳所棲(くきょくひらんぽうしょせい)
中国には「枳棘は鸞鳳の棲む所に非ず」、即ち「優れた人物(鸞鳳)は決して劣悪な環境(枳棘)には住まない」という喩えがございます。
一子の住んでいる下町は全体に負のオーラが漂っており、淡々とした演出が余計に不気味さを感じさせる正に「枳棘」です。
何か特別なことがあるわけでもなく、登場人物も揃いも揃ってダメ人間ばかりで、まともな人物はまずいません。
こういう描写を積み重ねることで「百円の恋」が決して痛快な娯楽性溢れる物語ではないことを強烈に印象づけます。
まるで幸福感のない家庭
「枳棘」の象徴として一際強く押し出されているのは荒んだ一子の家庭です。
自堕落な一子のみならず、うだつの上がらない父孝夫に家族を厳しく正せない母佳子、そして夫に蒸発され出戻りしてきた妹の二三子。
ここまで幸福感のない家庭も中々ありませんが、面白いのは表面上問題がある家庭には見えないということです。
これも現代社会の闇を象徴しており、親子揃ってアダルトチルドレンであることも大きな要因ではないでしょうか。
爛れた人間関係で
こうした爛れた人間関係の中で、一子は初めて「社会」と関わっていくことになります。
果たしてそこにはどのような現実が待ち受けていたのでしょうか?
犯罪者揃いの職場
百円生活にバイトとして働くことになる一子ですが、そこで待ち受けていたのは犯罪行為を平然と行っている者達でした。
代表的なのは一子を強姦した挙句レジのお金を盗んだ野間明と裏口から焼きうどんの窃盗を繰り返して悪びれない池内敏子。
警察へ電話するもまともに対応して貰えず、もはや泥沼がいとも簡単に発生してしまうような犯罪者の巣窟と化してしまっています。
社会で働き出した一子が出会ったのは悲惨な家庭に輪をかけた犯罪者達であり、一子はどこにも自分の「居場所」を作れないのです。
過激な描写の裏に隠された一子のテーマ
「百円の恋」は特に前半こうした過激な描写が目立ちますが、これらはあくまでも飾りであって本質ではありません。
一子に与えられている前半のテーマは「人間関係の構築」です。この腐りきった泥沼の環境で如何にして人間関係を築いていくのか?
価値観が多様化・複雑化して人の心も分かりにくい中で如何に強く逞しく生きるのかが一子の抱える問題となります。
淡々としていながらも毒々しい演出、描写の数々はそうした一子の抱える問題の本質を浮き彫りにすることにあったのです。