現実が個人の認知の集積で成り立つ、それは「全が個を構成する」のではなく「個が全を構成する」ということでもあります。

管理社会の根本は「全が個を構成する」、即ち社会の理念や理想のモデルが個人のあり方を決めるという構造です。

しかし社会のモデルを構成するのは他ならぬ「個」であり、その目的も「個を幸福にするため」でなければいけません。

管理社会が行き過ぎた結果個が幸福になるどころか雁字搦めになって抑圧されてしまうことは本来あってはならないことです。

「未来世紀ブラジル」の目論見の一つは「個」と「全」の関係性を再検証することにあったのではないでしょうか。

現実と幻想のどちらが幸せ?

幻想と現実―日本古典文学の愉しみ― (新典社DP)

サムの生き様は果たして管理社会に支配される現実と空想の世界に生きる幻想のどちらが幸せかを考えさせられます。

幻想に生きる方がサムにとっては幸せでもあり、そして楽なのでしょう。現実の複雑性を排除し都合良く作られているのですから。

しかし、現実から目を背け心の中に閉じこもり、辛さから逃げ出すことが本当の幸せといるのでしょうか?

サムは最後ジルと共に緑豊かな楽園の世界に旅立ちましたが、それだって夢中夢における現実の戦いを経て手にしたものの筈です。

安直に幻想が現実よりも幸せだとせず、幻想の世界だってその中での現実の苦しみもまたあるのが「未来世紀ブラジル」の面白い所でしょう。

現実と幻想のどちらが幸せかは人間にとって永遠の課題であり、簡単に答えの出せる問題ではありません。

だからこそ「未来世紀ブラジル」は物語全体の意味を直接に示さず、受け手の想像力に敢えて委ねたのでしょう。

軽快ながらも怖さを含んだユーモアの意味

アナタのグローバル感覚がわかる!? 世界のブラックユーモア (BUYMA Books)

「未来世紀ブラジル」がシリアスで根深いテーマを含んでいるのに重苦しさを感じさせないのは本作独特のユーモアのお陰です。

しかし本作のユーモアはブラックユーモア、即ち軽快に見せながらも何かしらの風刺・皮肉が混じったものとなっています。

代表的なのは爆弾テロが何度か起きているにも関わらず、それに無関心・無反応な人々の怖さです。

これは現代人にとって戦争やテロといった危険行為が対岸の火事でしかなくなっているという最高の皮肉ではないでしょうか。

他にも美容整形を繰り返した結果体を壊してしまった女性など現代社会の実は怖い一面が様々な形で表現されています。

管理社会の統制以外にも現代社会の「闇」を炙り出すように映されるブラックユーモアもまた本作の彩りとして興味深いところです。

「未来世紀ブラジル」の真意

ブラジルの水彩画(Aquarela do Brasil)

本作のタイトルがなぜブラジル国が舞台じゃないのに「未来世紀ブラジル」なのか?

これはギリアム監督自身がインタビューで1939年の名曲「Aquarela do Brasil(ブラジルの水彩画)」が由来であると語っています。

そして何故この曲だったのかというと、楽園をイメージさせる美しい音楽だったからなのだとか。

ここから察するに「未来世紀ブラジル」の真意は「ディストピアSF」を描いた本作における「ユートピア」の象徴ではないでしょうか。

サムは最後ジルと共に二人で管理社会の支配から逃れ、美しい楽園の世界へと逃れることを望みながらも叶いませんでした。

しかし、もしジルと共に自由の楽園へたどり着くことが出来たら、きっとサムにとって最高の未来世紀であったことに違いありません。

このタイトルには人類が管理社会からの脱却を果たし、誰もが幸せになれるユートピアに辿り着いて欲しいという願いが感じられます。