後悔と共に浮かぶのは、そうした家族や親類たちとの温かな思い出でした。
彼はこの旅で、自分自身を見つめなおすことになったのです。
救い 幼い子供が意味するもの
彼が見た幻は家族と、そして幼い自分の姿でした。
本当に孤独になったことで、愛してくれる人たちにどれほど囲まれていたかに気づいたのです。
そしてその時、彼は生きるために腕を犠牲にすることを選びました。
家族や恋人のため、そして自分自身のためにも、絶望して死を選ぶことはしなかったのです。
これは、アーロンが愛する人たちに心から向き合えたことの表れなのではないでしょうか。
彼はそうして、本当の意味で自分を救ったのです。
目を背けたくなるような痛ましいシーンの中でも、小さな子供はただ静かに微笑んでいました。
なぜ希望が生まれるのか
腕を失うという、辛く苦しい結果になる本作。
しかし鑑賞後には爽やかさもあったのではないでしょうか。その理由も考察してみます。
生への執着 そのエネルギー
アーロンの一人芝居や想像には、思わずクスリと笑ってしまうところも多くありました。
そのおかげで暗い話ムードに終始しないため、気持ちよく鑑賞を続けられるのでしょう。
また、アーロンが希望を捨てず、あがき続けたことも理由と考えられます。
どんなにみっともなかったり、痛々しいシーンだったりしても、それは生きるための行動です。
生に執着し、もがく姿は、観る人にエネルギーを与えてくれるのかもしれません。
死に直面した時、浮き彫りにされるのは生きることへの執着なのです。
絶望が映し出すもの
私たちは、普段自分がどれだけ恵まれているかは、あまり意識しないものでしょう。
病気や怪我、事故などで人に頼らざるを得なくなった時、他の誰かのありがたさがわかるものです。
アーロンのおかれた状況も全く同じ。
家族への愛。他愛無い幸せのありがたみ。
彼の状況を追体験した観客は、それを知ることが出来るのです。
鑑賞後、疲れと共に覚えるのは誰かへの感謝なのかもしれません。
“自分自身”に辿り着いた男
エンディングでは、腕を失っても再び人生を楽しむアーロンの姿が見られます。
この経験はあまりに痛ましいものではありましたが、彼はそれをも乗り越えて、また彼らしく生きています。
これも生きることの力でしょう。ただし、彼は確かに変化しました。
行き先の書いたメモを 必ず残して
引用:127時間/配給会社:20世紀フォックス・ギャガ
自分自身に向き合い、大切なものに気づいたアーロン。