「菊次郎の夏」は正男視点で物事が動いていきますが、実はこの物語の主人公はタイトルにもある通り、菊次郎なのです。
正男を主題に設定しなかった理由とは何なのでしょうか?
そこを紐解いていきたいと思います。
菊次郎の成長物語だから
この映画は正男の夏休みを通しての成長物語であると同時に、菊次郎の成長物語でもあるのです。
正男が菊次郎に心を開いていくのと同じように、菊次郎の方も正男に心を開き、次第に二人は本当の親子のようになっていきます。
旅の途中で出会う様々な個性を持つ登場人物たちも、この映画には無くてはならない存在です。
そして、“天使の鈴”にも隠された大きな役割があります。
菊次郎は天使の鈴は正男の実のお母さんがくれた、と正男に説明しましたが、これは菊次郎の優しい嘘です。
おそらく菊次郎はこの時初めて自分の為ではなく人の為に嘘をついたのではないでしょうか。
そういう部分でも、菊次郎は一歩成長し、“自分本位”から“正男のため”という他人の気持ちを思いやる事を学んだのです。
菊次郎は実の父親の名前
実は「菊次郎の夏」はこの映画の監督である北野武の父親にまつわるエピソードを交えながら作られた映画なのです。
北野監督の父親はとても破天荒な人で、名前も菊次郎といいます。
そんな父親の面影をなぞらえて作られたのが、この「菊次郎の夏」なのです。
もちろん、この物語はフィクションで、正男と菊次郎は実の親子ではありません。
しかし、子供ながらに見ていた北野監督の父親にまつわるエピソードがこの映画には散りばめられているといえます。
主題を正男に設定しなかった一番の理由は北野監督が“父親”という存在を描きたかったからなのでしょう。
子供心に見ていた父親の面影を北野監督はこの映画に託したといえます。
ラストシーンに全ての意味がある
この映画のラストは正男が菊次郎に名前を尋ねるシーンで終わります。
「菊次郎だよ、バカヤロー!」
引用:菊次郎の夏/配給会社:日本ヘラルド映画、オフィス北野
ここで、この物語の主軸というか、映画の全容がわかるのです。
観客になるほど!だから「正男の夏」ではなく「菊次郎の夏」だったのか、とわかる仕掛けになっています。
正男を主題に設定しなかった理由は、菊次郎の長い長い夏休みでもあった、という意味が込められているのです。
風車とパンダが持つ意味
作品内において、風車が回っているシーンや、パンダのぬいぐるみやお面が登場するシーンがあります。
風車とパンダが表すものとはどういった意図があるのでしょう?
その謎に迫っていきたいと思います。
パンダのぬいぐるみとお面の意味
お祭りでヤクザに絡まれ倒れる菊次郎。
その隣にパンダのぬいぐるみが転がっているシーンがありますが、このぬいぐるみは古い菊次郎の“抜け殻”を意味しています。