純粋な少年だからこそ、何の疑いもなくナチの思想を受け入れているジョジョ。
しかし、まだ「カッコいい」ところで止まっています。
想像上のアドルフは精神年齢10歳のアドルフ。彼が語ることはジョジョの心の中の「反語」的立場といえるでしょう。
ジョジョがこれでいいのだろうか、と思うとアドルフが現れ、反対のことを言います。エルサにまつわることについては特に。
それはジョジョの心の不安や葛藤の直喩ともいえるでしょう。
エルサとの交流の中でユダヤ人とは角が生えた野獣ではないことが分かってきたジョジョは、考え方が次第に大人になっていきます。
そして、なぜナチはユダヤを排斥し、優しいママを殺したのか、何故エルサが隠れていなければならないのかが分かるようになります。
決定的なのはユダヤ人は角が生えていて魚と交わる怪獣で、人間に酷いことをする化け物ではない、と分かったことでした。
もう、心の中のアドルフの言うことを聞いて自分が何かを行動する必要がないと感じるまでにジョジョの心は成長していくのです。
だからこそ、ジョジョはアドルフを蹴飛ばして窓から追い出し、決別したのです。もうボクにはアドルフは要らない!と。
共振する5人のキャラクター
これまで挙げてきた4人のキャラクターにジョジョを加え、5つの人格・キャラクターが映画の中で共振しているように感じます。
何に対して共振しているのでしょう。そのテーマは「愛」「人間が本来持つ優しさ」「アンチ・ヘイト」。
この共振こそ、「ジョジョ・ラビット」の面白さであり、タイカ・ワイティティの脚本の見事な点であるといえるでしょう。
くつひも
この映画で1番目につくガジェットでありメタファーであるのが「くつひも」です。
最初の内、ジョジョは自分で靴紐を結べません。お母さんに結んでもらっています。
亡くなったお母さんの靴紐を結ぼうとしますが、その時点ではまだ出来ません。足にしがみついて泣くばかり。
しかし、戦争が終わり、外に出ていく時自分の靴紐をきちんと結ぶどころか、エルサの靴紐も結んであげます。
紐が結べていない靴ではダンスも上手く踊れません。好きなダンスが踊れる世の中は自由で平和な世の中。
ラストシーンの2人のダンスは「愛と寛容と自由を獲得した」喜びを表現しています。
「靴紐」の変化はジョジョの心の成長の過程(愛と寛容の理解への行程)を表すことが1つ。
更に、2つの紐を1つにして結ぶ、という行為は、考え方の違う人たちが靴紐のように撚り合いリボンを作る事による「融和」のメタファー。
それこそタイカ・ワイティティがいいたかった「愛と寛容」の象徴なのではないでしょうか。
誰も観たことがない「愛」の映画
シリアスとコメディの絶妙なバランスの中に、少年の心の成長を描き「愛と寛容」こそ大事なんだ、と主張した「ジョジョ・ラビット」。
ジョジョの成長物語風アンチ・ヘイト映画といえるでしょう。
これまでに観たことのないナチとユダヤの関係を描いた世界。1番驚くのは徹底的に嫌なやつが出てこないということ。
逆に出てくる人は全員どこかユーモラスで優しい。人間の姿は本来はそうなんだよ、というタイカ・ワイティティのつぶやきが聞こえてきそうです。
この映画は戦争(人種差別)を舞台にしながらも観終わると心が暖かくなり明日への希望が湧くという不思議な作品です。