本作が伝えたいメッセージは哲学的で難解ですが、整理していくと見えてくるものがあるのです。
本作で脚本家と監督が伝えたいと思っている要素を取り上げていきましょう。
自己は本当に自分がコントロールしているのか
今考えて動いている自分は、本当に自分自身なのでしょうか。潜在意識と言う他人が動かしている可能性があります。
また自分が思っても居ないことを喋ったり行ったりするときがありますが、これも自分のせいではないのかもしれません。
「振り返ってみると自分じゃなかったかも」と思うような瞬間があるはずです。
この無意識の世界が、実は他人の意思によるものだったらという問いかけをしています。
他人を演じるときの楽しさ
人形師として活動しているクレイグは自分ではない物語の主人公を操って演じているときに満足を得ます。
またマルコヴィッチに入っていく人も、自分ではない誰かになることで満足し、興奮を得ています。
演技したり、カラオケでなりきって歌ったり、反映できるシチュエーションは多いと思うのです。
このように「他人になる」という行為は楽しいということを、本作は伝えてくれています。
身体は結局精神の入れ物でしかない
マキシンはマルコヴィッチと接しているときに、ロッテが入っているとロッテの存在を感じ恋に落ちます。
一方でクレイグが入っているときは愛情はなく、そこには金を儲ける打算しかありません。
最終的にはロッテとの愛を取り、クレイグ(マルコヴィッチ)から離れます。
このように肉体は、精神が入るための器でしか無く、精神に魅力があるのだと伝えています。
マルコヴィッチの怪演
マルコヴィッチを演じているときのマルコヴィッチは、過剰にマルコヴィッチを演じています。
クレイグが操っているときのマルコヴィッチは、自分に自信がなくちょっとオドオドしていて、人形劇のときは自信満々です。
レスター社長に乗っ取られたときのマルコヴィッチは別人のような顔つきになります。
同じ俳優なのに、全部違う表情を見せるジョン・マルコヴィッチの演技は素晴らしく、本作でしかみられません。
これを見るために鑑賞する価値があるといえるのです。
理解し難い設定の意図は?
見るものを思考の迷宮にいざなうような設定の数々。このなかで気になる設定の考察を展開していきます。
人形師が主人公
人形師という設定は、人を操って表現することができる者としての設定として必要でした。
同時にマイナーで売れない食えない変人として、世の中に噛み合わない人を表しています。
7と1/2階
ビジュアルとして「非日常が日常」であることをわからせつつインパクトを与えています。
言語障害の受付嬢も日常の中の非日常として描かれているのです。
おかしいのはレスター社長とクレイグなのか? この世界なのか? という謎掛けでもあります。
マルコヴィッチに関連した設定について
架空の人物「ジョン・ホレイショ・マルコヴィッチ」にはいろいろな設定があるのです。
彼に関わる謎を紐解いていきましょう。
マルコヴィッチの穴のなりたち
小人症の妻を持ったマーティン船長(=レスター社長)が妻のために作ったという7と1/2フロアがあります。
穴の存在を知っているマーティン船長が確保するべくこのフロアを作ったのでしょう。