それまで患者たちの崇拝の対象であったラチェッド婦長は、破天荒な行動の中で信頼を得る彼と対峙していくのです。
薬と法で守られる平和を愛する婦長
詐病で入院しているマクマーフィーは患者たちと仲良くなるにつれて、親愛の情を持ち相手を理解し始めます。
障害者と健常者に違いなんてない、そこらへんの街を歩いているやつと変わらないと断言するのです。
しかしラチェッドは、薬を飲んでおとなしくしている患者と病院の環境を平和と感じています。
その上でマクマーフィーと対話することで、自分の支配下に置けるとも考えているのでしょう。
ラチェッドと閉鎖的病棟に見る体制
ラチェッドは模範的な市民を愛する為政者そのものです。反してマクマーフィーは法を破る悪に見えます。
ですが本作では法を破り、自由に振る舞う彼のほうが魅力的に描かれているのです。
これは1960年代~70年代にアメリカを席巻したアメリカン・ニューシネマの影響があります。
ニューシネマといわれる作品は、反体制的な人物が体制に敢然と闘いを挑み、最後には体制側に圧殺される展開が特徴です。
ロボトミー手術が与えたチーフへの影響
電気を流してショックを与えたり、ロボトミー手術をするなど残酷な描写もある本作。
特にロボトミー手術がチーフに影響を与えた心情について迫ります。
治療としてのロボトミーと電気ショック
電気ショックは現在でもある治療法です。主に緊急性を求められるときに主に使用されます。
正確には電気けいれん療法といい、麻酔や筋弛緩剤を用いて安全にするのが普通のようです。
映画ではまるで拷問のように使われていますが、フィクションということで誇張した表現になっています。
ロボトミーは前頭葉の神経を物理的に切断するという手術で、暴力衝動などがある人に用いられたそうです。
この手術をすると感情が抑えられ、別人のように穏やかになると言われていますが、実際には脳の機能を停止させています。
日本では1975年に禁忌とされ、それ以降は行われていない危険な術式なのです。
ルールを守らないものへの罰なのか?
暴れる患者への緊急的な処置なのでしょうが、病棟の3人は電気けいれん療法を施されます。
このシーンは「ルールを守らないものには罰を」というようにも見えます。
ですが電気けいれん療法も、マクマーフィーから自由を奪うことはできませんでした。
さらに乱暴を働くマクマーフィーを静かにさせるために、ロボトミーを罰として施したのでしょう。
その結果、彼は感情も会話もできない廃人にされてしまいました。
廃人になった彼を見たときに、患者たちは「逆らえば心を殺される」と感じるはずです。
チーフの心に決断をもたらしたロボトミー
隔離されたマクマーフィーを待つ間に、自由への意思を育んできたチーフ。
脱出を断ったときや病院に縛られていた「小さな人間」ではなく、尊厳を取り戻していました。
そんな彼が、戻ってきたマクマーフィーに、人間としての尊厳を奪われた姿を見るのです。
これを悲しんだチーフは、マクマーフィーを「解放」し、精神病棟を脱出することを決めます。
ラストの真実に迫る
ロボトミーで自己を失ったマクマーフィーを殺し、噴水台で窓を破壊し彼の魂とともに病院を出ていくチーフ。