ヤコブの梯子の物語では、天使がその梯子を上り下りしています。これはまさにジェイコブが悪魔を見たり、不安になったりしている姿。
死を受け入れてこそ、上りきることができるラダー(階段)。つまりラダーは死の象徴なのです。
それぞれの「ラダー」をまとめると
本作のラダーは「梯子、階段」「薬」「死」という意味でつかわれていることが分かりました。
「ジェイコブの梯子」「ジェイコブの薬」「ジェイコブの死」──。どれを日本語訳しても、タイトルと映画内容が一致します。
つまり『ジェイコブス・ラダー』はさまざまな角度から解釈できる映画だったのです。
小銭の真相は「死を受け入れた証」
死の過程や死因、受け入れについて描かれた本作品。作品内で出てくる小銭にも、実は死と関連した意味合いが込められています。
ポールの目の前に現れた小銭には死とどんな関連があるのでしょうか。
小銭と戦友ポール
ジェイコブが小銭を見かける場面に遭遇したのは、戦友であったポールに呼び出されたからでした。
結局小銭はポールが見つけます。そしてポールが車のエンジンをかけ、車は爆発しました。
ここでは「ポールは先に死を受け入れた」と考えることができます。なぜならポールが拾おうとした小銭は、実はロザリオだったからです。
車の爆発後、ジェイコブが小銭だと思っていた物は、ロザリオでした。
ロザリオはキリスト教の祈りの道具です。つまりポールは神に導かれたと考えることができます。
そこまで判断できるのは、ジェイコブの目の前にもロザリオが現れたからです。
ジェイコブの目の前にもロザリオは出現していた?
ポールが車の爆発に巻き込まれた時に助けてくれたマイケル・ニューマンは、ラダー(薬)を開発した当事者でした。
マイケルに薬の真相を聞いた後、ジェイコブは打ちひしがれてタクシーに乗り込みます。実はこのときロザリオが出現しています。
ジェイコブがタクシー内の内装を見ていると、ロザリオとマリア像がぶら下げられていました。
それを見てジェイコブは安堵した気持ちになり、眠りに落ちます。以後、ジェイコブの気持ちは落ち着き続け、映画ラストへと突入しました。
心が落ち着いたということは「死を受け入れて安らかな気持ちになった」ということです。
つまりロザリオの出現は、「死を受け入れた証」と考えることができます。
ポールは「仲間」ジェイコブは「死因」
ロザリオの出現が「死を受け入れた証」であるならば、どの時点でそう判断されるのでしょうか。
ポールの場合、自分と同じ軍人で同じ苦しみ(悪夢的体験)を共有できる仲間を発見したときに安堵しました。
つまりポールは死を受け入れるにあたって「仲間」を必要としていたのです。一方ポールは仲間が必要ではありませんでした。
ポールが必要としたのは「死因」。先述したようにラダーのせいだと「思い込む」ことによって、ジェイコブは死を受け入れます。
そこでやっと、悪夢から解放されロザリオが出現したというわけです。
『ジェイコブス・ラダー』というタイトルと死
『ジェイコブス・ラダー』は旧約聖書の「ヤコブの梯子」を元とした作品です。
そこには死の受け入れという宗教観やラダー(梯子、階段、薬、死)といった複数の意味合いが込められていました。
人が死ぬという過程を精神面から描き、そこに反戦やホラーを乗せた本作は、見る人によってさまざまな捉え方ができます。
映像は不気味な表現が多々ありますが、それだけでない深い精神性を持って鑑賞すると、より面白く感じる作品です。