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「独身のままだと動物に変えられてしまう」という理不尽な世界で生きる主人公を描いた映画「ロブスター」。
シュールなコメディ映画かと思いきや、物語を通してみると「愛」や「共生」について考えさせられる”深い映画”なのです。
本記事では「ロブスター」に込められたメッセージについて深読みしていきたいと思います。
共生は必要だったのか?
共生で得られる便利な暮らし
この映画では、独身者と比較して「二人でいることの利便性」を強調する場面が多く描かれていました。
片手を縛るなどして、普段は感じないような「両方存在することの必要性」を身体的に意識させられています。
しかし、ホテルでの描写には、カップルであることの精神的な利点には全く触れられていません。
つまり、独身者が忘れかけていた「二人で居られることの物質的なありがたさ」に改めて気づかせようとしているのです。
あくまで「嘘のない恋愛=カップル」であり、そこに愛は求められていません。
日が経つにつれてデヴィッド自身も自分の背中に軟膏を塗れなくなり、一人の生きづらさを実感していました。
カップルだけではない共生の形
人間最後の日を迎えた女性に宛てた友人の手紙には、自分にはないものを羨んで妬む「人間臭さ」がありました。
親友として紹介されていたほどの女性二人の間にも、相手を心底思いやる気持ちは存在していなかったのです。
それでも、人間最後の日にスタンド・バイ・ミーを一人で観ると決意した女性。
恐らく、目に見えない真っ直ぐな信頼関係を信じたかったのでしょう。
映画に出てくる少年たちが互いを支え合い、守り抜く姿に最後まで憧れ続けたのです。
動物になった自分には、絶対にそのような感情は存在しないと察していました。
カップルに限らず、薄っぺらな人間関係はどんなものでも脆いと暗示しています。
冒頭で女が牛を撃ち殺したのはなぜか?
ギリシャ神話との繋がり
劇中では人間が動物に変えられてしまう場面が何度も描かれています。
作者は、ギリシャ神話に影響を受けていたのかもしれません。
ギリシャ神話では、罪を犯した罰として人間が動物に変えられる場面は珍しくないからです。
人間が動物を殺す意味
ギリシャ神話にもあるように、動物は人間の化身だということが読み解けます。
つまり、もともと人間だった者が何らかの罪を犯した結果、動物に姿を変えられてしまったのです。
また劇中では、独身者がパートナーを見つけないことを「悪いこと」として描いています。
この冒頭に出てきた牛はもともと独身者であり、かつ、銃撃した女となんらかの接点があったことが推測できます。
独身者同士であった時に出逢ったものの、カップルになる事なく終わってしまった男女だったのかもしれません。
女は冒頭で車を運転していることから、現在町に住んでいるのではないかと察します。
別のパートナーを見つけた女は過去の男の裏切りを忘れることができず、牛に姿を変えた今でも恨みを晴らしたかったのです。
結末の場面でも同じような男女の裏切りが描かれており、人間の腹黒さが強調されています。
「共通項」さえあれば共生できるか?
「共生」のための「共通項」づくり
劇中で印象的だったのは、パートナーとの共通項を作ることだけに必死になる独身者たちです。
しかし、共通項という目に見えるものばかりに頼って、二人の愛は育まれるのでしょうか?
目に見えないものを信じるからこそ、愛が生まれるのではないでしょうか?
共通項があるというだけでカップルになったところで、その関係はとても脆いのです。