そして、金融システムによって狂わされる社会に危機感を持とうという強いメッセージ性も感じられます。
男性性の強い韓国社会
韓国では、兵役が義務化されており、肉体的にも精神的にもマッチョな人たちが多い印象があります。
男性は犠牲になってでも女子供を守るものだというのが社会の共通の美意識であるかのように、どの男性も潔く犠牲を厭わず戦っていました。
一方の韓国のヒロインは、少し気の強い思いやりのある女性が描かれます。
野球部のマネージャも、妊婦も、活発でありながら、上手に男性に頼っているところが印象的です。
一方で、お婆さんの姉妹や、ソグの母親は、どちらかというと人の世話をして苦労をしてきた女性として描かれています。
韓国社会に見る女性性の扱い方が、日本とは違っているところが注目に値するでしょう。
もしかすると、子供を産んだ女性は、ほぼ、おばさんとして他人のお世話に回る存在なのでしょうか?
メタファーの中に見る女性性
妊娠中の女性とソヨン
格闘家のような夫に守られた妊婦が、最後まで生き残りますが、これは未来を象徴する存在です。
男性が命をかけて守りぬいた女性と自分の子供が、未来に繋がっていく希望として描かれています。
なかなか決まらなかったお腹の子供の名前が、感染して意識がなくなる前に降りてきて「ソヨン」だと伝えます。
自分の命を繋いでくれ、愛した記憶を留めてくれ、と名前に込められた思いを感じました。
感染列車の中で、最後まで生き残ったスアンと彼女とソヨンは、3人で未来に向けて歩いていきます。
命を最終的に守り切るのは、女性性なのだというメッセージが込められているのではないでしょうか。
バス会社の常務も人の子
利己主義の権化のようなバス会社の常務も、感染したのを気がつかず、母のことを気遣う言葉を発しながら助けを求めます。
韓国人男性が、妻や子供だけでなく母を守る気持ちも強いのが、窺い知れます。
ただ血縁以外の人には、あれだけ傍若無人に振る舞い、犠牲にしてきたのに虫がいい話です。
女性性とは、全ての命を分け隔てなく愛するもので、他人との協調なくしては存在できないことを劇中の女性陣はみな知っています。
この傍若無人な男性は、だたのマザコンと言っておきましょう。
スアンは母に出会えるのか
列車が止まり、スアンと妊婦が歩き出します。
愛する父や夫が亡くなった悲しみを抱きながらも、未来へ進むしかありません。
生存者なのか、感染者なのか、不明だったため狙撃されようとしたとき、スアンの歌声により生存者だと認識され命拾いします。