「アンチェインド・メロディ」の歌詞がここで最大の意味を持ちます。
会いたくても会えない。すぐそばにいることが分かっていても、その姿を見ることもできない、というこれ以上はない切なさです。
そんなサムとモリーの燃えるような切ない願いに、神は最後の最後の瞬間に応えてくれたのではないでしょうか。
神の使者としての役割を果たしたサムと、サムを心から愛しているモリーの切なる想いを神は理解したのです。
天からの光の中でモリーとサムはお互いの姿を確かめ合い、永遠の別れを覚悟したように見えます。
モリーにとってもサムにとっても、お互いのその姿を忘れることはないでしょう。
特に「この世」にひとり残されてしまうモリーにとって、天からの光に照らされたサムの姿は永遠そのものだったはずです。
切なさと喜びが渾然一体となった「愛」そのものの姿。
これこそが本作品のテーマなのです。
「同じく」という最後の言葉の真意
モリーがサムにほんとうに伝えたかったこと
このモリーの最後の「同じく」という言葉が、本作品の最終的な着地地点です。
この言葉にモリーの想いがすべて込められています。
もともとサムは愛情表現を言葉でするタイプではありません。
「愛している」というような言葉の乱用が好きではない
引用:ゴースト/ニューヨークの幻/配給会社:パラマウント映画
いつもこのように言っていたサムでした。
しかし彼は、最後の別れのシーンで普段なら絶対に使わない言葉でモリーに別れを告げるのです。
「愛しているよ、いつも愛していた」
引用:ゴースト/ニューヨークの幻/配給会社:パラマウント映画
モリーはこの言葉に対して、なんと答えればよかったのでしょうか?
心から愛している彼はもうすぐ天に召されてしまう、サムが永遠に去ってしまうまでもう時間がない、ということをモリーは知っていたはずです。
その瞬間、普通に「私も愛している」という言葉だけでは自分の想いのすべてをサムに伝えることができないと考えたのかもしれません。
モリーが最後に発した言葉、それはいつものサムの口癖である次の言葉でした。
「同じく」
引用:ゴースト/ニューヨークの幻/配給会社:パラマウント映画
モリーがこう言った瞬間、時は「永遠」となり2人の愛が完全に繋がったのです。
サムの口癖で別れを告げた
モリー:「愛している」
サム:「同じく」
引用:ゴースト/ニューヨークの幻/配給会社:パラマウント映画
いつもの2人なら当たり前のようになっていたことのやり取りですが、モリーはずっと不満を抱えていたのです。
モリーは彼に普通に「愛している」と言ってほしかったのでしょう。
自分の想いのありったけを伝えなければと思ったその時に、お互いの口から発せられたのはそれぞれが言っていた言葉だったのです。
サムが「愛している」、モリーが「同じく」というだけが、互いに相手への精一杯の想いを伝える手段だったのではないでしょうか。
普段の日常の中で、彼らはお互いになんらかの「言葉」を欲していたのでしょうか?
いえ、彼らはただ、お互いを思いやる「想い」を相手に伝えたかっただけなのです。
この普段とは逆の言葉を使うことにより、2人はお互いに対する愛を完全に理解し合えたのでしょう。
まとめ
本作品は先ほどのモリー(サム)の言葉とともに終焉を迎えます。
最初に登場する瓶の中のペニー硬貨から最後に至るまで、本当に細かい部分にまでこだわりのあるストーリーが構成されています。
本作品の公開から数十年経った現在の物語と比べても、内容に全く遜色はありません。
そして、現在のCGや映像効果を生かした現代版のリメイクバージョンの登場を待っている方も多いに違いありません。
本作品は、星の数ほどある恋愛映画の中でも「超」がつく名作として、今後も人々の心の中で生き続けていくことでしょう。