劇中では、シドがハンナを愛していたのかを明確に表すシーンはありません。
ただ、冒頭からシドは客にハンナのウィルスを勧める際にセールストーク以上の熱い想いが込められているように感じられます。
シドが他の女性セレブのウィルスを客に勧める時にはこれほどの熱量で話していません。
このことから、やはりハンナのことを特別に思っているのは明らかです。
では一体、シドはどのような経緯でハンナを特別だと思っていたのでしょうか。
崇拝かつ触れることができない存在
ハンナに触れようとした結果
シドが憧れのハンナから直接ウィルス入りの血液を摂取するシーン。
ここでは息をのむようなハンナの美しさに魅了されていることがうかがえます。
思わずハンナの顔に手を近づけて触れようとしますが、シドはハンナに拒絶されてしまいました。
そのせいで病気を悪化させてしまったのではないでしょうか。
このシーンからは、シドにとってハンナが決して触れることのできない崇拝するべき存在になったことが分かります。
そして自分が近寄ると病気を悪化させてしまうから近づくことができないことに気づいてしまった重要なシーンだったといえるでしょう。
ウィルス共有で一心同体になれる
シドは人としてのハンナに触れることはできません。
ただ、ハンナの病気ウィルスが入った血液を自分に注射することで快感を得ていたのではないでしょうか。
ハンナの病気は未知のウィルスによるものですから、これは非常にリスクの高い行為です。
しかしシドはまったくためらうことなく、むしろウィルスを共有することによってハンナと一心同体になることを喜んでいたと考えられます。
もしかしたらシドは、もともとハンナ自身とコミュニケーションをとりたかったわけではないのかもしれません。
ウィルスを通した細胞共有という一方通行なコミュニケーションだけで満足できる変態的な性格なのではないでしょうか。
ハンナ自身ではなく細胞で満足できるのはこういった理由からだと考えられます。
しかもそれは、シドだけではなく、この映画の世界の社会がこのような性格の人たちで成り立っているともいえるのです。
人々はセレブを求める
人々がこぞってセレブを求める世界
この映画の世界では、風邪だろうがヘルペスだろうが痔だろうがどんな病気でもセレブがかかった病気なら何でも売れる世界です。
シドたちが横流しする「セレブの細胞」を培養した食用肉を買い、セレブの肉を食べるという異様な社会といえます。
なぜ人々はこれほどまでにセレブを求めるのでしょうか。
この世の中でもセレブは憧れの的
現代の世の中においても、人々はセレブに憧れます。
自分に自信がない人ほど「憧れの人というモデル」を作ってしまうのです。
まだ確固とした自分を成立させられない未熟な人がセレブなどの有名人と同じようになりたい、会いたい、と考えるのは当然のことでしょう。
通常、一般人が有名人に近寄ることはできません。