セレブに憧れるといってもできることといえば、ライフスタイルやファッション、髪型などを真似ることぐらいです。
しかし映画では、憧れの人との「究極の同一化作業」が描かれていました。
特別な存在になれる
ハンナの主治医のセリフ
「なぜセレブに憧れ、求めるのか」その答えが、後半に出てくるハンナの主治医がシドに語るセリフの中にありました。
ハンナの主治医はシャツをまくって、セレブの皮膚4枚がパッチのように貼られている自分の腕を見せながらこう言うのです。
「このパッチを貼っていることで力が湧いてくる」
「複数の視点で物事が見られる」
「特別な存在になりたいのだ」
引用元:アンチヴァイラル/配給会社:Alliance Films
パッチを貼っているだけ、つまりセレブの細胞を取り込んでいることに喜びを感じているのが分かります。
医師でさえ、今の自分よりももっと崇高な存在へと進化したいという欲望があり、それが当たり前になっているのでしょう。
特別な存在になりたい
クリニックを訪れる人々の表情はみんな暗くて不安げあり、心のよりどころが見つからず自信がなさそうです。
シドから勧められる「憧れのセレブがかかった病気のウィルス」をまるで宝石を眺めるかのように見入る姿。
人々が何よりもそのウイルスを欲しがっているということを物語っています。
人々はあの美しく自信満々なセレブと同じウィルスや細胞が体に入っていると思うだけで、自分が特別な存在のように感じられるのでしょうか。
弱くもろい心がこのような行為をもたらすのではないかと考察できます。
憧れの人と同じようになりたい願望は誰にでもあるので、もしかしたらこの世の中において近いことが起こる可能性も否定できませんね。
セレブとのこれ以上ない絆
また、ハンナの主治医は人々が行なっている行為に関して次のように解説しています。
「死を分かち合う、これ以上の絆はない」「細胞へのウィルスの侵入は性的だ」
引用元:アンチヴァイラル/配給会社:Alliance Films
生死がかかったサスペンス要素たっぷりな展開の末、シドはついにハンナを一人占めすることができるのです。
ハンナの血液を飲みながら恍惚の表情を浮かべるシドのシーンには、直接的な生死や性的興奮がありました。
全体を通して人の生死を含んだセクシャルな雰囲気が漂っています。
非現実的な本作品の世界においては、愛や情ではなく、何よりも死を分かち合うことに意味があるのでしょう。
愛するというような行為さえウイルスを共有する喜びとして表現され、特別な人の細胞を取り込むことで自分もまた特別な存在になれるのです。
これこそが、人々がセレブを求める理由であり、シドのようにハンナ自身ではなく細胞で満足する理由だと考察できます。
まとめ
ここまで「アンチヴァイラル」について解説してきました。
「シドが異形な姿になる悪夢シーン」のように、愛する人との愛の行為とは異なるセレブに対する異形な愛の形が具現化されていましたね。
人との愛や憧れなど様々な行為が特殊な様子で描かれるSFサスペンスとしては、非常に見ごたえのある作品といえるのではないでしょうか。
人を愛することがどれだけ純粋ですばらしいものか、改めて現実の世界が愛おしく感じるかもしれない作品です。