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エミリー・ブラウニング主演の『エンジェル・ウォーズ』は、急な場面展開に驚かされることもあります。
病院にいたかと思うと、売春館、そう思っていると寺院にいたりと、唐突なシーン展開についていくのが大変です。
ベイビードールの妄想がそのきっかけを作っているようなのですが、それがどこから始まり、どこで終わるのかが気になります。
妄想の境界をはっきりさせることで、より映画が深く理解できそうです。
さらには映画ラストでバスの運転手が出てきましたが、あれは誰で、ベイビードールの妄想なのかどうかも気になります。
またそもそもの始まりである手術。執刀医にはベイビードールが手術を望んでいるように見えたそうです。
ベイビードールの妄想の始まりと終わり、バス運転手の正体、そして手術に対するベイビードールの気持ちを考察していきます。
ロボトミー手術を望むほどベイビードールは絶望を感じていた?
ストーリー序盤で、精神病院に連れてこられたベイビードールは、父親の策略により手術を受けさせられます。
本来なら絶対に拒否の姿勢を取る状況ですが、なぜかベイビードールはそれを望んでいるかのような目をしていました。
その目をした裏側には、手術を受けて壊れたい、もうどうなっても良い、というベイビードールの絶望があったのです。
近しい親族はすべて死んだ
精神病院に連れられる前のベイビードルの境遇が、絶望的ともいえるものでした。
- 母親の死
- 妹は継父に殺される
- 殺人の濡れ衣を着せられる
継父の策略によりこのような状態に陥れられたので、ベイビードールは生きることへの気持ちが薄らいでいたと考えられます。
絶望的状況に立たされ、どうでも良い、むしろ死にたい、と考えたベイビードールは手術を受け入れたのです。
求めているものは「自由」
寺院のような場所で、日本刀を研ぐ男に求めているものを聞かれたベイビードールは、自由が欲しいと答えます。
この自由は「病院から逃げ出すこと」と考えがちです。しかし、むしろ「人生を終わらせたい」と捉えることもできます。
絶望的状況の中、例え精神病院から抜け出したとしてもベイビードールには帰る場所がありません。
なぜなら、帰った先で待ち構えているのは恐怖の継父であり、継父から自立しようにもまだ少女なため難しい状況です。
これらの絶望的状況から「病院から逃げる」よりも、「人生を終わらせたい」とベイビードールは考えました。
実際に5つのアイテムのうちの最後は「自分を犠牲にすること」で、スイートピーを逃がすために人生を終わらせることができました。
分かりにくい妄想と現実。病院・売春館・戦場の三つのステージから読み解く
本作品は手術を受ける直前のシーンから、舞台が慌ただしく移り変わります。
大きく病院・売春館・戦場の三つに分けられますが、それらのどこからが妄想で、どこからが現実なのでしょうか。
現実・妄想・妄想の妄想
本作は病院・売春館・戦場と、三つの舞台構成です。
それらの舞台は病院は現実世界、売春館は妄想世界、戦場は妄想の妄想世界と分けることができます。
手術という苦痛や、家族との死別、継父の策略、病院はベイビードールにとっての苦痛を感じる現実世界です。