『そして父になる』において、シーンのバックで流れるピアノの音色が、登場人物の心情のバロメーターを示していると推測できます。
桜が舞うシーンの軽快な音色から取り違えを宣告された際の少し不安になる音色まで、感情の振り幅をピアノの音色のみで表現しているのです。
これはピアノという楽器がもつ、低い音から高い音まで出せる音域の広さという特徴によって可能となります。
軽快なシーンでは音程が高めの軽やかな音色で、不安になるシーンでは低めの音を織り交ぜて少し暗めの音色の楽曲が聴けると思います。
また、ピアノの音色はアルペジオという奏法で演奏されていることが多いのも特徴的です。
アルペジオとは和音を構成する音を1音ずつ順に弾いていく奏法のことで、独特の雰囲気を感じさせるものです。
ピアノの音色のみでアルペジオという奏法で演奏された楽曲を使用することで、登場人物の心情をより繊細に、ダイレクトに表すことができます。
映画に実際に登場するピアノ
この映画の中には実際のピアノも登場します。
実際のピアノの音色と存在は、この映画における登場人物の関係性や心の状態を表していると推測できます。
物語の序盤ではピアノが野々宮家の人々を繋ぐ大切なツールとしての役割を持っていました。
ピアノの練習をすることで良多が褒めてくれるという慶多の言葉に、ピアノの役割が集約されていると考えられます。
また、良多が自分の父親のもとを訪れていた際にも近所のピアノの音が聞こえてきます。
良多の父親はピアノの音色に苛立ちますが、完全に歯車が噛み合ってないように見える良多と両親との関係性も示唆しているのではないでしょうか。
さらに、琉晴が野々宮家に来てまもなく、ピアノの鍵盤をデタラメに叩いて不協和音を出しているシーンがあります。
これは野々宮家に馴染めない琉晴、そして琉晴とうまく関係を築けない良多の苛立ちやもどかしさが表現されていると考えられます。
血の繋がりか過ごした時間か
映画の中で、良多は家族にとって大切なのは血の繋がりか、過ごした時間かという難題に直面しました。
斎木家との交流の中でもその狭間で揺れることになりますが、以下の2つのシーンにも重要な意味があると推測できます。
血の繋がりを意識
血の繋がりについて強く印象付けられたシーンは良多が自分の父親のもとを兄とともに訪ねるシーンではないでしょうか。
離れていても親子は似てくる
引用:そして父になる/配給会社:ギャガ
そう言われた良多は、本当の息子である琉晴、そして自分の父親との血の繋がりを意識します。
実際に、法律上の権利や、他人の見方などを考慮すると、血の繋がりを重視する血縁関係主義が現代の日本の根底にあるように思います。
過ごした時間の大切さ
過ごした時間の大切さについて、良多の中で考え方が変わったのは、子どもの取り違えをした看護婦へ慰謝料を返しにいくシーンでしょう。