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マフィア映画の巨匠スコセッシ監督が手掛けた「アイリッシュマン」。
ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノといった豪華俳優陣を起用した重厚感ある作品をNetflixでも配信したことでも話題になりました。
一般人のシーランがなぜかマフィアに重宝され、慕っていたホッファを殺す運命に。
人生の最後に神に救いを求め、懺悔室のドアを少し開けたままにするラストは何を意味しているのでしょうか。
そしてタイトルの意味と作中に見られるアイルランドの要素を考察していきます。
アイルランドの要素
映画のタイトルが「アイリッシュマン」のわりに、アイルランドについて触れるシーンが少ないように思えます。
明確にアイルランドの描写があるのは作品の終盤で、年老いた孤独なシーランが終活のために棺を選ぶ場面です。
なぜこんなラスト近くになってからアイルランドを強調したのでしょうか。
アイデンティティ
シーランが棺を選ぶ時にアイルランド・カラーである緑を選びました。
彼はずっとシチリア系の人種の中にいたわけですから、アイルランド人としてのアイデンティティは押し殺されていたと考えられます。
ですがマフィア達が死に、もう彼の生活にシチリアは関係ありません。
そんな時思い出したのがアイルランド人というアイデンティティだったのではないでしょうか。
余生が短くなったことで「自分は何者なのか」という壁にぶち当たったのかもしれません。
外された足かせと孤独
シーランにとってアイルランド人であることは足かせでしかありませんでした。
しかしマフィアに重宝される以前の彼は家族とつつましくも幸せな日々を送っていたはずです。
それは今や孤独になってしまったシーランが唯一欲しているものなのではないでしょうか。
緑はアイルランド・カラーであると同時に孤独を表します。
自己を取り戻し始めたシーランが孤独であるというメッセージがこの棺選びのシーンだけで表されているのです。
宗教的な描写
30人以上を殺し、神様など信じていないようにも見えるシーラン。そんな彼も神父に心の内を語ります。
なぜ彼は最後に教会へ足を踏み入れたのでしょうか。
カトリックの告解
仕事として人殺しをしている間はシーランに罪悪感などなかったのでしょう。
しかしそんな彼の心に罪の意識を認めさせた唯一の殺しがありました。それがホッファ殺害です。
兄のようにしたったホッファを殺すことは、仁義に背く行為。
もともと法を守るという当たり前の正義すら持ち合わせていなかったシーランは、この仁義だけが生きる支えだったはずです。
自分には何も残っていないと気づいたシーランは今更ながら神様にすがりつき、告解したのです。
最後の晩餐になぞらえて
シーランとラッセルが食事をとっているシーンに注目してみると、そこにはワインにパンを浸けて食べるシーランが。
これは世界的に有名な絵画「最後の晩餐」をもとに撮られたと推測できます。