生き延びていくたくましさを身につけながら、両者の運命がはっきりと対比され美しいコントラストを織りなすのです。
インドの社会問題を通して描かれる「運命」の実態
本作においてはインドのカースト制によって蔓延っているスラム街の社会問題の過激な描写が話題となりました。
特に衝撃だったのは物乞いをさせるために失明させ、それにジャマールとサリームが巻き込まれそうになるところです。
たいていの場合人は家系の持つ根源的な運命から逃れることは出来ません。
本作の「運命」の実態は「社会」と「個人」という具体的な要素をもって提示されているのです。
「聖なる光」の象徴
そして何より「スラムドッグ$ミリオネア」を傑作たらしめているのはジャマールの思い人、ラティカでありましょう。
「聖なる光」の象徴として本作で描かれており、衣装が黄色や金色、水色など淡い輝きを放つものであることからも伺えます。
彼女も「運命」に翻弄され、売春宿で踊り子にさせられたり、サリームからは左頬に一生消えない傷をつけられるのです。
また、その運命に絶望し、一度は完全にジャマールの愛を冷たく拒絶してしまいます。
ラティカはジャマールを嫌いなのではなく愛しているからこそ彼の元を離れ、しかし彼の存在に希望を見出し救われていくのです。
彼女も決して表立っての行動こそ少ないものの、運命の波に抗うまごうことなきヒロインです。
最後の問題
さて、そんな本作は最後、ジャマールにとって完全なる未知の問題に正解することでカタルシスを得ます。
ではなぜジャマールは全く知らない筈の問題を正解出来たのでしょうか?
「知識」ではなく「知恵」
そもそもの話、最終問題以前に何故普通であれば途中で答えられなくなる筈の問題を無学のジャマールが正解出来たのでしょうか?
それはジャマールが得てきたものが「知識」ではなく「知恵」だからです。
両者の違いは「経験・体験を通して得たものか否か」であり、ジャマールの知恵はすべて命がけで得られたものでした。
人間、机の上で頭を使って暗記したことよりも体を通して骨の髄まで染み込ませる形で体験したものの方が遥かに深く記憶に残ります。
彼の人生はすべて学問的な「知識」ではなく自身が生きていく為に死に物狂いで身につけざるを得なかった「知恵」だったのです。
最後の問題は「過去」ではなく「未来」
第八問までジャマールが正解出来たのには何かしら過去に正解出来る根拠がありました。
つまり第八問まではジャマールの「過去」に基づき彼の物語を紡ぐために構成された問題であったのです。
一方、最後の一問は何が正解なのか、ジャマール自身にも分からずに答えを出すことになります。
これは即ち最後の問題がジャマールの「過去」ではなく「未来」への問いかけである証拠ではないでしょうか。
想念は具象化する
最後の最後、彼はライフラインを使い、ラティカと電話します。その時の問いかけがこちら。
今どこ?
引用:スラムドッグ$ミリオネア/配給会社:ギャガ
何と、どの選択肢が正解か?ではなくラティカの安否を問いかけたのです。
そう、ジャマールにとってクイズに正解するか否かなど元からどうでもよく、一番大事なのはラティカとの再会でした。
逆にいえば彼の人生はラティカへの一途な愛という名の「想念」に基づき具象化したものなのです。
どれだけうらぶれても、理不尽な目に遭わされても、ジャマールは最後までラティカへの想いを一途に貫きました。
そしてラティカもまたそんな彼の愛をしっかり真正面から受け止め、受け入れるべく行動したのです。
その純粋なまでに気高い想念が具象化し、ジャマールは最後の問題に正解出来ました。