演技者の希林さんは、観る者の心をとらえて常に揺さぶります。

車での移動中の映像には、演技ではない希林さんが映っており、そこに生き方を感じることができます。

 “樹木希林”という女優

希林さんは演技に対して正面から真面目に取り組むのではなく、その役柄の生き方を知るというアプローチをします。

どんなに役になりきろうとも、それはあくまでも役柄です。そこに希林さん自身の生き方はありません。

しかし、希林さんの芝居は観るものの心を激しく掴み離しません。

それは役柄に向き合う姿勢そのものが希林さんの生き方だからなのです。

役を生きる

旧ソ連の演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーは演技のことを役を生きる芸術と表現しています。

俳優という仕事は生きていくことと同義だと希林さんは考えているようです。それは作品を観れば明らかです。

演じることと生きることが同一線上にあるという、まさにスタニスラフスキーの演技論を地でいくのが希林さんでした。

そんな希林さんの日常を撮ったとしても、そういう役を演じているように見えてしまうのです。

そのことに木寺監督は、撮影が始まってすぐに気づいてしまいました。

それは、後半部分が全く違う印象の映画になっていることでも明らかです。

それゆえの誤解

老いの重荷は神の賜物-樹木-希林

希林さんは撮影現場でもプライベートでも変わらずに、思ったことを包み隠さず相手にぶつけていきます。

一般常識では考えられないほど空気が読めない発言も多々ありますし、恐ろしく辛辣な言葉を相手にぶつけたりもします。

しかし、裏を返せば正直なだけです。

監督にも容赦はしない

正直すぎる故に誤解を受けることも多かったはずですが、それを恐れる希林さんではありません。

当然のごとく木寺監督にもそれをぶつけました。

木寺監督はそんな場面でさえ、カットせず映画として曝け出します。

そこをカットしてしまうと樹木希林のドキュメンタリーではなくなることを承知しているからです。

理想の生き方

「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」と娘の内田也哉子さんに言っていた希林さん。

也哉子さんに「こういう風に生きていってほしい」と思っていたのでしょう。

そして、自分自身もそういう風に生きることを努力したのです。

それは全身ガンに侵されても、老いて顔に深いシワが刻まれても変わることはありませんでした。

すべてのことを面白がって平気に生きているように見えるのは、希林さんの努力の賜物なのです。

それこそが観るものにざわめきを与える希林さんの真骨頂といえます。

しかし、取材しながら自身も変わっていった木寺監督が、これほど惨めな姿を世に曝す意味は何だったのでしょうか。

自分中心でいい

いつも心に樹木希林-ひとりの役者の咲きざま、死にざま-キネマ旬報ムック-樹木希林

監督の作品に対する意気込みが希林さんのそれを上回れないまま取材は進んでいきます。

希林さんに残された時間は少なく、監督は約束を守り一人で撮影するしかありません。

方向性を見失っていく監督の焦りが観客にも伝わり、イライラは募るばかりです。

苛立ちの原因

中途半端な撮影に苛立つ希林さんは、全身ガンに侵された自身の画像を出してきます。

それを監督に見せて、これを肝に作れば面白くなるのではないかと提案しました。

そこまで言う希林さんに自分のふがいなさを感じた監督は、自分の今の境遇や心境を涙ながらに話し始めるのです。

監督が惨めな自分を曝す決意をした瞬間です。

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