なぜなら始末するには(一度死んだ人とはいえ)殺さなくてはいけないのですから。
つまり「真実を伝える=人を殺したと告白する」行為になります。だからジャドは森の秘密を教えるだけにとどめたのでしょう。
静寂の中に潜む恐怖とは
この映画の怖さは生き返った者が凶暴になって襲ってくる場面だけではありません。
失われない記憶
一番の恐怖は死者が生き返り、生きていた時の記憶を持ちながら家族を殺すという点です。
完全に悪霊に取り憑かれた状態ならば、襲う側にとっても多少は救いようがあったかもしれません。
それに襲われる側も、ある程度割り切って反撃できたはずです。ですが全く救われない展開が悲しみを含んだ恐怖を連れてくるのでしょう。
エリーを殺す覚悟
ルイスがエリーを生き返らせるにあたり、上手くいかなかったらエリーを殺す覚悟があった様に見えます。
猫が凶暴になったのを目の当たりにしていますから、失敗する可能性は高いと知っていての行動です。
またジャドを眠らせている間に埋めたのも、やはり失敗した時に備えてでしょう。
失敗することは同時にエリーを殺すことを意味します。我が子を殺す覚悟をしていたルイスの狂気も、この作品に心理的な恐怖を与えているのです。
動物の仮面を被った子供たち
作品の序盤からホラー要素が散りばめられていましたが、そのうちの一つが動物の仮面を被った子供たちです。
タンクローリーが頻繁に往来する道路で、多くの動物が犠牲になっていることはジャドの口から語られたので、動物のお面の意味は分かります。
しかし子供がお面をつけている意味はあるのでしょうか。
きっとこの土地は、ルイス一家の様に以前からペットを飼っている子供連れの家族が移住してくる場所だったのではないでしょうか。
そしてペットを追いかけて道路に飛び出した子供たちが多く犠牲になる結果に。
ですから、このお面の子供たちが登場した時点で、エリーが同じ目に会うことが伏線として描かれていたと推測されます。
ルイス一家が居なくなっても、また新たに似たような家族が移り住むのでしょう。
森の秘密を知っている人間ジャドが死んだ今、本当なら誰もあの土地に遺体を埋めることはないと思われます。
そうすればもう悪霊に取り憑かれる人もいなくなり、悪霊も大人しくなるはずです。
生き返ったルイス一家が他の家族に手出ししないよう祈るしかありません。