すずはバケモノを頼って周作と一緒に戦争のない居場所を探したかったのではないか。バケモノの空想からはそんな切なる思いが伝わってきます。
原爆という悪夢の運命
バケモノはまたすずの悪夢の運命の象徴と読み取ることもできます。
すずはあの戦艦大和も入港する呉市にも程近い軍事色の強い土地・広島市で育った少女です。
彼女は幼少期から故郷が壊滅する悪夢の未来を予兆していたのかもしれません。その絶望的な悲観がバケモノに投影されていた可能性もあります。
そう見ると、あのバケモノは戦争終結のカタストロフィ(大災厄)・つまりは原爆だとも読み取れるのです。
すずはバケモノを自分と周作を誘拐した「人さらい」と見ていました。それは膨大な人の命をさらっていった原爆とも重なります。
結局、すずは細工した望遠鏡でバケモノに夜を見せることでその魔の手から逃れました。
そこからは原爆に象徴される闇の運命を自らの手で変えようとする彼女の強さが感じられます。
バケモノが再び登場したのはすずと周作が原爆投下後の荒れ地で再会したとき。バケモノはただ素通りして手を振るだけでした。
それは愛し合う2人が原爆という悲惨な運命を克服したことを意味しているのではないでしょうか。
このように映画だけを観てもバケモノから多くの意味が読み取れます。このシンボリズムによって映画は味わい深さを増したといえるでしょう。
アニメだからこそ出来たみずみずしい世界観
鑑賞者の中には、すずが生きていた時代を自分も生きてみたかったと思った人が少なからずいたようです。
ときは1940年代、誰もが毎日食べるものにさえ苦労していた時代。さらに舞台はいつ爆弾が落ちてきてもおかしくない激しい戦時下の街でした。
それでも多くの人がすずの物語の中に惹きこまれたのは、ひとえにアニメーションの絵力によるものでしょう。
スタジオ・ジブリでさえCGを本格的に使いだした時代に、この映画はほのぼのとした手書きカットを全面に押し出しています。
それは素朴な一方で、みずみずしさも備えていました。すずが野に咲くタンポポや草を料理に生かすシーンは特にそのみずみずしさが光っています。
すずの一家の食事シーンでは宮崎アニメなみに食欲をそそられた人も数多くいたことでしょう。
原爆投下を描く映画において、実写ではここまで当時の生活をみずみずしく魅力的に表現することは不可能だったのではないでしょうか。
片渕須直・こだわりのアニメ製作
片渕監督はアニメ作家としてこの映画でほとんど他に類を見ないこだわりを見せています。4つのポイントを解説しましょう。
緻密に描かれた戦争兵器
監督の片渕須直氏は『名犬ラッシー』『名探偵ホームズ』『ブラックラグーン』等のアニメ作品を手掛けてきました。
中でも『ブラックラグーン』はリアルな銃器がふんだんに出てくる作品です。
『この世界の片隅に』でも戦艦・飛行機・爆弾などの兵器は極めて緻密に描かれています。片渕監督はおそらく戦争マニアではないでしょうか。
宮崎駿や押井守など日本アニメの名監督には少なからず古今東西さまざまな戦争兵器にマニアックな興味を持つ人がいます。
マニアックな軍事兵器へのこだわりはこの映画にもリアルな奥行きを与えていました。
もしかしたら軍艦の種類に詳しかった晴美ちゃんには監督自身の幼少期が投影されていたのかもしれません。
当時の広島市内をリアルに再現
原爆投下以前の広島市内の様子をアニメにするには膨大な資料や写真が必要です。
片渕監督は、当時の写真や生存者の話をベースにして原爆投下以前の広島市内の様子を作り上げていきました。