出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07YVFBF4D/?tag=cinema-notes-22
この作品は1990年公開(日本では1991年)のアメリカ映画で、監督・製作を主演のケビン・コスナーが自ら務めました。
南北戦争が激化していた頃の西部開拓時代、失われていくフロンティアを舞台にネイティブ・アメリカンの文化が美しく描かれています。
第63回のアカデミー賞では12部門にノミネートされ、内7部門で受賞。他にもゴールデングローブ賞など、その年の賞を総なめにしました。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンス・ウィズ・ウルブズ
滅びゆく文明を背景に、人種を超えた交流と不思議な運命で結ばれる男女を壮大なスケールで描いたこの作品を深く考察していきましょう。
時代背景
1863年、足を怪我した北軍の中尉であるジョン・ダンバーが一頭の馬と駆け抜けたテネシー州は南北戦争の激戦地でした。
希望して向かった任地であるサウスダコタ州のセッジウィック砦は『フロンティア』と呼ばれるインディアン征服の最前線です。
スー族
ダンバーと交流を持ったインディアン部族『スー族(ラコタ族)』とはどんな部族だったのでしょうか。
白人によって農耕していた地を奪われ、徐々に平原地帯へ追われたインディアンたちは、狩猟民族へと変化していきました。
夏はバッファローを追って『ティピー』という移動用テントに住み、冬は越冬用の居住地に移動して暮らすのが彼らの生活になっていきます。
スー族は数あるインディアン部族の中でも、西洋から入ってきた馬をいち早くを取り入れました。
生活に馬を取り入れたことで、バッファロー狩りの規模は拡大され、移動も楽になって部族の力を強大にしていきます。
物語には部族の長『十頭の熊』や聖人『蹴る鳥』など位の高い人物が登場しますが、本来は部族内に上下関係はありませんでした。
ポーニー族など他の部族との争いはありましたが、特に好戦的というわけではなく平和と家族を愛する穏やかな部族だったようです。
バッファロー
彼らにとって、バッファローを狩ることは『食料の調達』だけでなく『神聖な儀式』でもある一大イベントです。
彼らはバッファローの群れが通る日を待ち望み、焚火を囲んで夜な夜な天に祈っていました。
知らせに来たダンバーがたった一夜で『よそ者』から『英雄』に変わったのにはそういう理由があったのです。
ラコタ語
作品中のインディアンたちが使う言葉は『ラコタ語』と呼ばれているもので、スー族の方言の一つです。
部族の長『十頭の熊』の妻を演じたドリス・リーダー・チャージは、ラコタ語を話すことができるスー族出身でした。
彼女は出演者たちにラコタ語を教える仕事も担いましたが、ラコタ語には『男言葉』と『女言葉』があります。
彼女が教えたのは『女言葉』だったので、とても面白い逸話が生まれました。
賢者である『蹴る鳥』や勇猛な『風になびく髪』、主人公のダンバー中尉が『女言葉』を使っているのです。
今で言う『オネエ言葉』ですね。
ラコタ語がわからない人たちには気づかれませんでしたが、ラコタ語がわかるインディアン達を招いた試写会で大爆笑を誘ったそうです。
白人によるバッファロー狩り
バッファローの群れを見つけた後、狩りに出かけたインディアンたちは凄惨な光景を目にしました。
たくさんのバッファローが毛皮だけを剥がされ、無残な死骸をさらしていたあの悲惨なシーンです。
馬車の轍が意味するもの
バッファローの死骸の脇には馬車の轍がくっきりと残っていました。
白人による毛皮欲しさの蛮行であることは明らかです。
原作ではこの後、この白人ハンター達は『風になびく髪』によって皆殺しにされるのですが、映画ではそのシーンはありません。
おそらくコスナー監督らスタッフは、轍によって犯人を推測させるだけで十分だと判断したのでしょう。
残忍な場面は映画にとってプラスにはならないと考えたのは当然です。
インディアンと白人
同じ白人の仕業とわかってダンバー中尉は肩身が狭い思いをします。
インディアン達の心がわかるだけに、狩りの儀式を行う場所からは離れたところに居るしかありません。
「自分はここに居てもいいのか」という自問を繰り返しているダンバーにインディアン達は何も言いませんでした。
ダンバーと同じ人種の仕業なのに責めることも慰めることもしないのです。
それは何故でしょうか。
『十頭の熊』はダンバーについての話し合いの席で「あの白人は良い心を持っている」と言います。
スー族は信じられる人間かどうかを定めるのに、人種ではなく心根で判断するのです。
スー族の人達はバッファローを発見し知らせてくれたダンバーに信頼を寄せていました。
一度信じたら『家族』と同じ扱いをするのがスー族の考え方です。素晴らしいですね。
生きるための狩り
白人の狩りは毛皮や舌を得るためだったり、レクリエーションとしてのものでした。
しかし、スー族にとってのバッファロー狩りは生きることそのものなのです。
必要以上は殺さず、同じ自然の中に生きている者同士、敬意を持ってさえいます。
ある日『笑っている顔』に突進してきた荒れ狂う一頭のバッファローをダンバーが撃ち殺すという事件が起きました。
すると『風になびく髪』はダンバーが仕留めた獲物の肝臓を切り出しダンバーに渡します。