だからジョンは合併の話を断るのです。
患者(人・動物)に向き合う時間が大切
病院が合併すれば当然効率化が進められます。実は効率化することをジョンは以前から危惧していました。
それはキャンプ先で動物を診察したことの楽しみを、Dr.マークに語るシーンに現れます。
「見立ては難しくて、緊張したけど、でもやり遂げた後の満足感は素晴らしかった。医者冥利に尽きるっていうか、それで昔を思い出したんだよ。で、思ったんだ、じゃ今はどうだって。患者を流れ作業で診てやしないかってね。」
引用:ドクター・ドリトル:/配給:20世紀フォックス
すでに自分の病院でも効率化によって、心ある診察ができなくなっていることにジョンは気付いていました。
合併をすれば、もちろんその問題に拍車はかかります。この点からも合併にジョンは反対したのです。
動物を手術する自信
映画ラストでは、今後人も動物の両方を診察することが明かされました。
当然人間の医者と動物の医者は全く違ったもの。人と動物の両方を診察する決意をした裏側には、何があるのでしょうか。
ラッキーの声を聞きながら手術
ラッキーがお腹が痛いと言うので、動物病院に連れていき診察を受けたシーン。
このシーンでは獣医の診断や治療が、ラッキーの声とは違った方向に行くので、ラッキーの言葉をジョンは獣医に伝えます。
この時ジョンは獣医よりも、直接動物と会話できる方が治療では有用的だと思ったのです。
結局動物と会話できた方が、治療はスムーズにいきました。これによって、ジョンは動物を手術する自信を持つきっかけを手に入れます。
人間の医療知識が通用する
キャンプ先に大勢の動物たちが集まったので、ジョンは仕方なく診察をします。
「ハトのED、アルコール依存症の猿、目の悪い馬。」
引用:ドクター・ドリトル/配給:20世紀フォックス
これらの患者を人に対する医療知識で診察・治療しました。
この経験でジョンは人間の医療知識でも、動物にある程度代用できると考えたのです。
動物の治療に対して自信をつけたジョンは、人と動物を診察することに心配がなくなり、二つの生き物の診察することを決意します。
当然勉強もする
ジョンは大勢の動物を治療したのち、動物手術に関する勉強をしています。
Dr.マークが作業しているジョンのところで、ジョンが読んでいる本を見つけました。
「獣医のための猫の解剖学。」
引用:ドクター・ドリトル/配給:20世紀フォックス
これはトラを治療するために勉強していた本です。さらには、その本の著者のところへ会いにも行きました。
つまりジョンはこの時すでに、人も動物も診察・治療する覚悟の第一歩を踏み出しているのです。
映画ラストの決意には、ジョンのこれまでの知識と今後に向けた勉強が背景として存在していました。
ジョンの口から語られた自信
ラストシーンでラッキーに人と動物の診察について質問された時、ジョンの口から診察への自信が語られました。
「人も動物も基本は同じ。」
引用:ドクター・ドリトル/配給:20世紀フォックス
やはり動物(人も含む)の基本は同じであることを感じたジョンは、診察に自信を持っていたのです。
この自信があるからこそ、人と動物への診察に踏み切ったと思われます。
『ドクター・ドリトル』という作品
『ドクター・ドリトル』では、動物と会話できる能力を通した人間ドラマが展開されます。
その根本あるのはジョンの人柄であったり、仕事への情熱で、それがストーリーに大きく影響していました。
人と違う能力をいかに活かして生きるか、という問いは多様性を認め合う現代にこそ必要な考え方です。
コメディ要素が注目される本作ですが、作品の考察を進めると、もっと深いメッセージが込められていることが分かります。