さらに検証してみましょう。
最初はメニーが給水機になりハンクを助けます。
次は携帯の電波を探していた時、メニーはマルチツールとして力を貸しました。
しかしハンクがメニーと一緒に生き抜こうと考え始めたころには、ハンクがメニーの相談に乗るという立場になっています。
つまり『メニー』とは、ハンクの気持ちの『バロメーター』なのです。
死のうとしていたオープニング時のハンクに同期しているであろうメニーが『死体』なのは必然でしょう。
帰ってきた世界
あれほどに戻りたかったこの場所は、ハンクとメニーが思い描いた世界とは少し違っていました。
サラ
サラはハンクの憧れの人です。
ハンクはメニーがサラに会った時、たぶん言ってしまうであろう言葉を考えてハラハラしていました。
しかしいざ会ってみると、思い描いていたシーンとは違い過ぎていたのです。
そのせいでハンクの心は冷静になっていきます。
それとシンクロするようにメニーは『死体』へと戻り始めました。
これは、ハンクの『生きる意欲』=『サラへの思い』が喪失したことが原因です。
それでは、ハンクにとって『生きる意欲の化身』であるメニーが死体に戻るとはどういうことでしょう。
それはハンクの『生きる意欲』が無い状態、つまり死んだということです。
だからこそ、冒頭では見られなかった『死ぬ前の走馬灯』をこの時はっきりと見ます。
それはメニーとの思い出ばかりでした。
父親
ハンクの父親は、ハンクにとっての『抑圧の象徴』として描かれています。
今までのハンクは、父親に「低能」と呼ばれることがとても嫌でしたが、止めろとも言えませんでした。
以前と同じように酷い言葉で蔑む父親に、ハンクは初めて逆らいます。
ハンクのその行為を『母親が悲しむ』と父親は言いますが、ハンクは「いや、喜んでくれる」と言い返すのです。
ハンクの母親に対する気持ちを唯一理解してくれたメニーと、一緒に自由になろうとするきっかけとなる出来事でした。
ハンクは遂に抑圧から自分を解き放ったのです。
ハンクに見えたもの
美しかった二人のバスはゴミの塊のように見られました。
憧れだったサラに、メニーとのことを話してもサイコに対するまなざしを向けられます。
抑圧からの解放
楽しかった時間の証、そしてメニーが与えてくれた勇気の証として、手錠をかけられながらハンクはオナラをしました。
抑圧から解放され、公衆の面前で自分を曝け出した音でした。
でもハンクがその音を聞かせたかったのはメニーです。
その気持ちはメニーに伝わります。
伝わった瞬間メニーからガスが出始め「ハンク、もう大丈夫だな」とでも言うように、彼は海の彼方へと去っていきます。
父親はもう「低能」などとは言いません。
それどころか去っていくメニーを見て微笑みを浮かべます。
これが本作の肝なのです。
最後の光景
メニーが海の彼方へ去った時、ハンクはまた『走馬灯』を見ます。
それは今までのハンクが死んだことの象徴です。
ハンクの分身であるメニーが笑っていました。
ハンクも微笑みます。
メニーはハンクの魂の中に帰って来たのです。
ハンクに見えた最後の光景は、これからの自分に待ち受ける色々な困難と、それを超えることで得られる幸せでした。
「オナラで笑わせて始まり、オナラで感動させて終わる」映画を作りたかったダニエルズ監督たちの思惑は成功したのです。