そのアレハンドロに銃口を向けても、命の恩人を射殺するほどケイトは裏社会に染まってはいません。だから殺せなかったのです。
納得はできないが理解した
麻薬カルテル捜査官は、いかなる手段を使ってでも目的を達成することのみを考えなければいけません。
エル・パソでギエルモを確保する算段を立てる会議で、ケイトはマックに「犯人を捕まえたいのかどうか」を強く聞かれます。
ケイトは犯人を捕まえたい旨を答えると、マットはこのように言いました。
それがすべての出発点だ
引用:ボーダー・ライン/配給会社:ライオンズゲート
この出発点とは、目的を達成(犯人を捕まえる)ことだけを考えろ、という意味で捉えられます。
この意味はケイトにとって納得しがたいものですが、本当の意味で理解したのは最後のシーンだったようです。
フラグは立てられていた
実はケイトが最後に裏社会のやり方を理解するのは、事前に予告されていました。
エル・パソで作戦会議を開き、事情が分からないケイトはアレハンドロにこれまで過去を聞きます。
米国人の君には理解できない。全てを疑うだろう。そして最後には全てを理解するだろう。
引用:ボーダー・ライン/配給会社:ライオンズゲート
ここで言う最後とは、ケイトが銃を向けたシーンのことを示唆していました。
このシーンで、裏社会での生き方をケイトは理解したのです。その生き方に納得はしませんが、理解をします。
ケイトが引き金を引けないのは、そういった理由もあったのです。
Sicario(シカリオ)はメキシコで「暗殺者」エルサレムでは「愛心党」
映画冒頭と締めは、この言葉が映像に現れます。
舞台であるメキシコでシカリオは暗殺者を意味していました。一方語源のエルサレムでは愛心党を意味しますが、一体これは何なのか。
ユダヤ民族独立を未だ現実的に切望する集団もいた。
熱心党は、そうした集団の内、手段を厭わず暴力行為を以ってしてでも目的を遂行しようという当時の抵抗組織である。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/愛心党
エルサレムはユダヤ民族にとって古代からの聖地です。現在でも紛争は絶えません。
以前この地にいた愛心党は、手段は問わず、目的達成を目指した組織でした。つまり、本作の映画内容そのものを表した組織なのです。
ケイトにとって、それはで「暗殺者」のように見えたアレハンドロは、想いや目的のある「愛心党」に見えました。
一方的に犯罪をする人に見えるとおそらくケイトは引き金を引いたでしょう。しかし、最後にアレハンドロの想いが見えたとなると…
銃声が意味するもの
映画は、アレハンドロに殺された悪徳警官の息子がサッカーをしている途中、銃声が響き渡るシーンで終わります。
その銃声が意味するものは、この街や現地社会での理でした。
「花火」がいつ上がるか
エル・パソのフォートブリス陸軍基地(ギレルモを拷問した場所)の屋上で、ケイトは「花火」を見ます。
その花火とは街中で起きる、カルテル同士の銃撃戦のことでした。
ケイトはそこで、銃撃戦が起きるのはボスが不在だから、ということを聞かされます。
以前メデジンにある麻薬を支配するカルテルがあったころは、平和だったのです。
しかしソノラカルテルの登場により、カルテルの均衡が崩れ銃撃戦は起きました。
つまり最後の銃声は、ソノラカルテルNo.3のファウストがいなくなったこの地域で新しい争いが始まったことを示唆しています。
ソノラカルテルでも支配率は20%
本作でソノラカルテルはメキシコ周辺の麻薬の大半を取り扱っているように見えますが、作中でその支配率は20%と言われています。
つまりソノラカルテルですらメキシコ周辺を牛耳ることができておらず、情勢は不安定なのです。
だからこそファウストが殺されていない時から、街中で銃撃戦が行われていました。
しかもNo.3のファウストが殺されたとあってはソノラカルテルは黙ってはいないでしょう。争いはこれからも続くのです。
その争いの中にアレハンドロも登場し、メキシコ周辺の麻薬を牛耳って争いを収めようと警察上層部も考えています。
さまざまな『ボーダー・ライン』
本作タイトルのボーダー・ラインにはさまざまな意味合いがあります。
- ケイトの正義と裏社会のやり方の境界
- アメリカとメキシコの国境
- カルテル同士の勢力の境
- 善と悪の境界
このボーダー・ラインは立場や視点、地域が変わればどのようにでも変わります。
本作に登場するカルテルは実在する麻薬組織です。それらの実情は、まさに本作で考察したことそのもの。