出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B000066HML/?tag=cinema-notes-22
本作は2001年公開のアメリカ映画で、メグ・キャボットの『プリンセス・ダイアリー』が原作です。
内容はある日突然自身が高貴な身分であることを告げられた女子高生が王女に成長するまでが描かれます。
日本のヒーローものでもありがちな「巻き込まれ型」の米国ヒロイン版ともいえるでしょう。
女優・アンハサウェイを主役に据え非常に丁寧にじっくり描かれたストーリーテリングが秀逸です。
本稿ではそれまで冴えない普通の女子高生であったミアが見事なスピーチを披露できた理由を考察していきます。
また、母が事実を隠し続けてきた理由、日記帳を渡した女王の想いなども見ていきましょう。
現代版「シンデレラ」
「プリティ・プリンセス」全体の構造は現代版「シンデレラ」です。
普通の暮らしをしていた女の子がある日突然運命を変える出来事で王女になる点が似ています。
しかし、「シンデレラ」と本作では細かく異なっている部分もまたあるのです。
一つは王女となる人間が高貴な身分の出自であることで、これが何の関係もない一般人では説得力に欠けます。
そしてもう一つがミアが女王になるまでの紆余曲折が丁寧に描かれていることです。
原典となる「シンデレラ」ではシンデレラ自身が王女になるまでの葛藤は描かれていません。
この辺りの違いが本作の作りに大きな説得力を持たせているのでしょう。
ミアの葛藤
「プリティ・プリンセス」の一番の見所は王女になるまでのミアの葛藤です。
彼女は王女になる最後の最後まで女子高生の自分と王女としての自分を天秤にかけます。
彼女が最後まで葛藤し続けた理由が何だったのか、細かく掘り下げてみましょう。
「公人」と「私人」
大きな特徴はミアのステータスである女子高生と王女がそれぞれ「公人」と「私人」の表象なのです。
冴えない普通の女子高生として生きる時のミアは等身大で、大きな責任は生じません。
しかし、王女となると一気に責任の重い立場になるわけで、行動や言動も大きく制限されます。
いきなり歴史の表舞台に立たされるほどの責任はとても普通の人が背負えるものではありません。
自己肯定感の低さ
王女になるまでのミアは学校ではいじめられっ子で勉強も運動もこれといった取り柄のない子でした。
周囲からは馬鹿にされ、ずっと否定され続けていく内に彼女の自己肯定感は物凄く低くなっていたのです。
その自己肯定感の低さは特に次の台詞に象徴されています。
人々の期待に沿えず、おばあちゃんに失望されると思うと無理なの
引用:プリティ・プリンセス/配給会社:ブエナビスタ
そう、ミアがずっと懸念していたのは王女になった後元の冴えない駄目な自分に逆戻りしてしまうことでした。