一見するとスコットが酷い男のようですが、しかし彼は元々自分の人生の価値観を持って生きる健全な若者です。
友情という名の傷の舐め合いに終始していては先へ進むことは出来ないからこそ、損切りしたのではないでしょうか。
スコットのそんな行為は人間関係における損切りの重要性を示しており、決して残酷でも何でもありません。
マイクを乗せていった人の正体
マイクは最後に持病のナルコレプシーを起こしてしまい、荷物を奪われた挙句車に乗せられ連れ去られてしまいます。
彼を乗せていった人の正体は「マイ・プライベート・アイダホ」最大の謎です。
しかし、こちらは既に未公開版でマイクを乗せていったのが兄リチャードだと示されています。
ヒントは兄が乗っていた赤い車が後頭部と共に僅かに映っており、未公開のラストカットと一致することです。
ではなぜそのシーンを公開版で出さなかったのかというと、マイクの運命の残酷さが薄れてしまうからでしょう。
しかし、どちらにしてもマイクは自身の負の停滞から逃れられない籠の中の鳥であることに変わりはないのですが。
マイクとリヴァー
「マイ・プライベート・アイダホ」でマイクを語るとき外せないのは何よりもリヴァー・フェニックスでしょう。
リヴァーは本作において主演男優賞を手にしていながら、本作の2年後23という若さで逝去することになります。
何故こんなことになってしまったのかは当人の口から語られていない以上何もいえません。
しかし、マイクとリヴァー、どちらにも共通していたのは「刹那の輝き」を表現する流れ星であったことです。
それは一時的には素晴らしいことのようですが、流れ星とは如何に輝こうと落ちる運命にあります。
そんな脆さを秘めた輝きが現実と架空の二重性として存在しているのもまた本作の醍醐味でありましょうか。
まとめ
「マイ・プライベート・アイダホ」は同性愛を中心にしたマイクとスコットの生き様の対比を描いた作品です。
しかし、その生き様は極めて対照的で残酷なほどに「陰」と「陽」がはっきりしていました。
未来へ向かう若者と今この瞬間しか生きられない若者、創造的な若者と破滅的な若者、そして金持ちと貧民。
どれだけ心通わせ合ったとしても二人の人生が交わることは決してなく、その苦さが共感を呼びました。
そんな一過性の青春を極めて俯瞰した視点から現実として描いた作品として今も尚我々の心に響きます。
現実にはマイクのような若者だっているということを決して忘れてはいけません。