そこまで西野は待っていられず、早紀に対してマインドコントロールをかけるのを諦めたのです。
犯罪に手を染めたくない西野
さまざまな殺人を犯している西野ですが、西野が直接手を下した数は少ないです。
むしろ、西野は家族同士で殺し合いをさせることに快感を感じています。それは作中の発言や映像にも映しだされていました。
モデルとなった事件
この作品には、モデルとなった殺人事件があると言われています。
その事件の首謀犯は、家族をマインドコントロール状況に陥れ、基本的に自分は手を出さず、家族同士に殺し合いをさせました。
殺し合いの内容が凄まじく、一部には報道規制等もかけられたという噂もあります。
この実話をモデルとしているのであれば、製作側は西野の姿に本当の事件の首謀犯の姿を投影させたのです。
「犯罪者になっちゃうじゃないか」
西野が自身が犯罪に手を染めることを拒むシーンは何点か見られます。最も顕著に表れたのが、澪の母親を射殺したシーン。
澪が母親を殺すことに躊躇していたので、西野自ら手を下し、このように言います。
何で僕がこんなことしなきゃいけないの。お前の家族のしりぬぐい何でやらせんだよ。犯罪者になっちゃうじゃないか、僕が。
面倒なことに巻き込むなよ。全部お前のせい。後始末ちゃんとやっておきなさい
引用:クリーピー 偽りの隣人/配給会社:松竹
このセリフからも、西野は自身が犯罪に手を染めることを嫌がっていることが見て取れます。
だからこそ、家族間で殺し合いをさせるのです。実際澪の一家、そして高倉夫婦も同じような方法を取りました。
そう考えると、本多一家に対しても同じような対応をしていることが予想されます。
映画ラストの西野の表情
西野が高倉に殺され、地面に転がっている最後のシーンでは、抱き合う高倉夫婦を見つめています。
しかも、微笑しているような表情で。これは、高倉が自分の言動により、殺害を起こした高倉を見て満足しているのです。
つまり西野はいかに犯罪に手を染めず、人を犯罪(とくに殺人)させるのか、について執着していた人物と考えられます。
だからこそ、被害者が自分とはいえ高倉が殺人を犯している情景に、満足した表情をしていたのです。
康子が狂ったように叫んでいるのも、おそらく夫が殺人をしたショックからでしょう。
早紀がいない間がちょうど良い
早紀が修学旅行に行っている間に、本多家は互いを殺し合っていたと推測されます。
これは西野にとってもちょうど良いのです。なぜなら、早紀がいないと「死体遺棄」という犯罪をする人がいないから。
つまり早紀は生かしておかなければならない存在だったのです。実際に澪は自身の兄や父の死体遺棄をさせられていました。
本多家においても、家族全員が殺し合ってしまうと、死体遺棄をする人が誰もいなくなってしまいます。
こうなれば西野自身が死体遺棄を行うことに…。やはり早紀が修学旅行でいないのは、西野にとっても都合が良かったのです。
しかし、予想と裏腹に早紀は帰ってすぐ、祖母に保護されました。
以後、警察やメディアに追われる早紀に付け入る隙がなく、西野の予定は狂ったので早紀は諦めます。
殺人に一定の条件を求める
サイコパスには大きく二つの種類があると言われます。
- 秩序型:年齢や容姿、環境などの要件が一致した人物に対して、綿密に計画した(口もうまい)殺人を行う
- 無秩序型:対象を無差別に選び出し、とくに状況が思いのままにならない(させてくれない)相手を選んで殺人を行う
しかし、時折この二つを合わせた混合型というものが出るらしく、西野はそれに当てはまります。
自分のことを詮索してくる相手を嫌い、高倉夫婦に妻や家の内情のことを聞かれるとイライラしていました。
これは無秩序型の特徴だと言えます。
一方、目の前の空き地、近所付き合いがあまりなく、人の入れ替わりが起きるところ、つまり家の配置に西野はこだわります。
これが西野の秩序型の面と言えるでしょう。西野が殺人をする要件として、家の配置があるのです。
また原作では、高倉の生活環境に対して野上が、人の入れ替わりに気付きにくそうな立地だと指摘します。