出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B073ZNBHCG/?tag=cinema-notes-22
映画「虐殺器官」は伊藤計劃氏の長編SFをアニメ映画として映像化した作品です。
舞台設定は2015年のサラエボで発生した核爆弾テロから5年後の世界中で多発する国際社会となります。
2006年に書かれたものとは思えない程現在の国際社会の姿を見事に捉えた描写は恐ろしいほど正確です。
クラヴィスとジョンを巡る現代社会の裏・闇の本質に迫っていった本作は衝撃のラストを迎えます。
果たしてクラヴィスがラストで行った選択の意味は一体何だったのでしょうか?
また、彼とジョンの「罪悪感」の違い、そして各登場人物が背負っていた罪も併せて考察していきます。
ポスト”9.11″
「虐殺器官」の舞台設定は2020年ですが、仮想敵として設定されたのは“9.11”でした。
アメリカ同時多発テロ事件は2000年代初頭を象徴するテロで、以後様々な議論がなされてきました。
本作においてそれがどのように表現されているのかを考察していきましょう。
情報管理社会
まず最も目立つ本作のポスト”9.11″の特徴として完全なまでに情報管理がなされた社会であるということです。
これは正にマイナンバーカード、SNSなどを通した個人情報の徹底管理等々を通した現代社会そのものでしょう。
あらゆるものをデータ化し完璧なまでに統制・支配しているアメリカの姿の滑稽さを象徴しています。
テロを防ぐ為には兎に角個人情報を可視化し、そのようなことが起こらないようにするしかないのです。
情報過多による取捨選択の難しさ
情報管理社会の先に待ち受けているのが情報過多による取捨選択の難しさです。
クラヴィス達は特殊軍を設定しテロ事件の首謀者を炙り出そうとするも空回りしてしまいます。
寧ろ適切な情報を探ろうとすればするほど深みにはまり、余計な情報に攪乱されてばかりです。
これは正しい情報を抜き取れず嘘・デマに簡単に騙される現代社会の在り方を皮肉っています。
しかし、大事な情報ほど決して表に出ることはないため、余計に情報の取捨選択は難しいのです。
必要悪としての内戦・紛争
そして何より一番ポスト”9.11″だと感じさせるのは必要悪としての内戦・紛争です。
「虐殺器官」においては先進国でテロが起きない代わりに後進国で起こります。
自国が戦争で崩壊するかもしれない状況を作り出せば他国に戦争を仕掛ける余裕はありません。
つまりアメリカで起こるかもしれなかった戦争を余所に押しつけたのが内戦・紛争の実情です。
本作においては必要悪として起こっているという示され方をしています。
言語学者ジョン・ポール
真相も何もかもが闇の「虐殺器官」において、一人の言語学者ジョン・ポールが登場します。