彼が現われた国では何故か虐殺が大量発生するというジンクスがあるのです。
ここでは一度彼の人となりをしっかり掘り下げてみましょう。
彼は悪魔か?
“虐殺文法”なる文法をメカニズムとして生み出し、世に混乱を陥れたジョンはまるで悪魔のようです。
本当にそうなのでしょうか?彼は確かに過去のテロ事件で妻子を喪失するという痛ましい過去があります。
そしてそれが彼をああいう方向に動かしたのも…しかし、それだけではないでしょう。
しかし実際はジョンを突き動かしているのは純粋な好奇心で、研究を重ねてそこに辿り着いたのです。
彼はあまりにも頭が良すぎて、普通の人間の思考しか持っていない人達に彼の真意は理解されませんでした。
表面だけを見てるとクラヴィスとの対比で悪魔のように見えるだけで、実際は言語の天才の一人に過ぎません。
才子才に倒れる
しかし、そんな頭の切れすぎる彼の主張は他の誰にも理解出来るものではありませんでした。
結果として彼はクラヴィスに銃殺されますが、そんな彼の最期は「才子才に倒れる」でありましょう。
優れた言語の才能を持ち、言葉が戦争を生み出すそのメカニズムまで的確に読み当てたのですから。
しかし、才ある人物に基本徳はないもので、彼は結局才が過ぎて身を滅ぼしてしまいます。
天才が真の天才となるか、それとも大悪党となるか、正に紙一重の人生だったといえるでしょう。
クラヴィスの選択
クラヴィスはジョンを射殺しながら尚彼の思想を理解し、彼なりに実践しました。
最後に彼が行った選択には果たしてどのような意味が込められているのでしょうか?
究極の自己犠牲
クラヴィスが虐殺文法を世間に口にすることで果たそうとしたのはアメリカに内戦を起こすことでした。
彼はジョンが示唆した言葉で実は内戦・紛争の根源を作り出したのは自分達にあると気付いたのです。
となればクラヴィスの中で内戦をアメリカで起こすしか解決の方法がないと結論づけても不思議ではありません。
そしてそれはアメリカを犠牲にしてでも他国を守ろうという究極の自己犠牲だったのではないでしょうか。
尤も、それに巻き込まれる平和ボケを起こしたアメリカ国民は自己犠牲では済まないわけですが…。
当事者ぶった傍観者
そしてこの選択はクラヴィスが結局は当事者ぶった傍観者でしかないことを示した証でしょう。
クラヴィスはテロや内紛の首謀者を突き止めるといいつつ、我が事として戦争を考えられていなかったのです。
彼もまた「罪」を背負う覚悟がジョンと出会い虐殺文法を聞いて漸くそこに気付きました。
虐殺文法を世間に公表することはクラヴィスが「当事者」へ変わった瞬間でもあるのです。
彼の中でやっと戦争に対して責任を取り、罪を償う決意と覚悟が出来たのでしょう。
言葉が変われば運命が変わる
そしてこれはジョンも一貫して口にしたことですが、言葉が変われば運命が変わるのです。
特に政治・経済など大きな運命を動かす舞台での言葉は本当に決定打となる力があります。