ジョンが虐殺文法を口にした国が虐殺に走った理由も虐殺を口にし続けたからです。
どんな人間でもどんな分野においても最初に放つ「言葉」が全ての思考・行動・運命を決定づけます。
皮肉にもジョンの場合それが悪い方向に行ってしまっただけでした。
しかし、クラヴィスはそのジョンの言葉を初めて良い方向へ生かせたといえるのではないでしょうか。
クラヴィスとジョンの「罪悪感」
クラヴィスとジョン、二人の「罪悪感」は実は根っこの部分で同じなのです。
二人とも「罪滅ぼし」ないし「罪償い」という形で果たそうとしました。
しかし、贖罪の方法は余りにも対照的だったのです。
クラヴィスはアメリカ以外を守る形で、そしてジョンはアメリカを守る形で罪滅ぼしをしようとしました。
勿論だからといって二人が決して悪党ということではありません。
形は違えど二人は自分の信念に生き、自分の出来ることを自分の形で果たそうとしたのです。
各登場人物が抱えていた罪
こうして見ていくと、各登場人物が背負っていた罪の正体も自ずと見えてきます。
各登場人物が抱えていた罪、全体に共通しているのは「殺し」という罪です。
「虐殺器官」とは殺しが合法化されている戦争の世界において「殺しとは何か」を一人一人が考える世界です。
その形が自殺なり他殺なり色々あるのですが、どの登場人物も「殺し」から意識が自由になれません。
ルツィアだってウィリアムだって、自分が守るべきもの・大切な人の為に「殺し」を背負っているのですから。
しかし、それを超えても尚生きられるほどの精神的強靱さは彼らにはなく、だから滅びの道を辿るのです。
いつかやって来るかも知れない未来
いかがでしたでしょうか?
「虐殺器官」という映画は現代社会の闇を通じて「殺し」と「罪」について考えさせる作品です。
しかし、それは同時にいつかやって来るかも知れない人類の未来を予見したものであるともいえます。
ジョン・ポールが指し示すように人間の中には虐殺文法という名の暴力・破壊衝動があるのでしょう。
問題はそれを言葉にして一線を超えるか否かでしかなく、今の世界は極めて不安定な土台の上にあります。
その未来をどうすれば回避出来るか、どうすれば人類が「殺し」の罪から解放されるのか?
今こそ一人一人の意識でそれを考えていく時代が来ているのではないしょうか。