金持ち達の配下に置かれた庶民が這い上がるという形は、まさに世界の現状を表しているのではないでしょうか。
押し付けられたルールの中で、それに従う人・背く人。仲間を助ける人や他人を蹴落としてでも抜け出そうと試みる人も居ました。
そんな人間模様を観ている私たちだって、他人事ではないのです。
この映画が制作された意図は、観る人に現実をまざまざと見せつけるためだったのではないでしょうか。
その後
あれから6ヶ月経ち、ベンとゾーイが再会しました。
死んだ4人が別の場所で死体で発見されていることからも、主催者の持つ力の大きさが分かります。
娯楽で脱出ゲームを開き、4人の死体を遺棄。そして部屋の証拠を残さない完璧さ。
ぞっとするほどの相手に、普通ならもう関わりたくないはずです。ですが2人は復讐する気満々。
命懸けのゲームをしたせいで、死に対する恐怖がマヒしたのでしょうか?
仮にこの映画が社会の縮図を表現したのなら、生存者の2人が復讐しに行かないのは、私たちに希望を与えないのと同じです。
なぜなら「生き残っても巨大な勢力には敵わないからやめておきなさい」という救いようのないメッセージを意味するのですから。
無理そうに見えても、向かっていく勇気を伝えるために「その後」のシーンを作ったのではないでしょうか。
ラストの真意
ベンとゾーイが黒幕の居場所へ乗り込むために飛行機を使います。
ですがそれを見越した主催者が、すでに他の飛行機でシミュレーションを始めているのです。
なぜ主催者は2人が復讐する事が分かっていたのでしょうか。
携帯電話やパソコンの検索データは、私たちの意図しないところで利用されているといわれています。
これは推論ですが、主催者側の金持ちの多くは大企業のトップだと思われるので、検索データを把握できていたのかもしれません。
ゾーイが調べていることは、全てバレていたのだと思われます。
まとめ
命懸けの脱出ゲームという現実味のない設定にも関わらず、よくよく見ると私たちの置かれている環境とよく似ていることが分かります。
この映画はゲームという取っかかりやすいジャンルでありながら、メッセージ性の強い作品のようです。
人間の本性や社会のルール、そして攻略法など現代に潜む問題を浮き彫りにしているのではないでしょうか。