ストレスからくる重度の解離性障害が見られる子が複数いましたが、誰も関心を示しません。
サルーに話しかけ手を繋ぐ少女の手はまるで老女のようでした。
そのワンカットだけで孤児たちの過酷な日々を表現しています。
収容児童への虐待
孤児院の職員による暴力行為や精神的虐待、買春あっせんなど目を覆いたくなるような現実も描かれています。
ストリートチルドレン狩りにあった子供たちと同様、孤児院で暮らす子供たちも安全ではないのです。
児童買春か児童労働の果ての臓器提供とインドが抱えている大きな闇を感じさせます。
オーストラリアへ行くサルーに少女がオーストラリアは良いところだと言いました。
彼女はインドから出たことなど無いはずです。
きっと彼女にとってはどこでも『ここよりは良いところ』なのでしょう。
本心を隠すサルーと曝け出すマントッシュ
ミセス・スードの斡旋によりタスマニアへ養子として行くことになったサルーには何か覚悟があるようです。
無感情な笑顔と、為されるがままの態度でそれが判ります。
生きていくためにはこれしかないと思い定めたのでしょうか。
あらゆる感情を捨て全てを受け入れようとしています。
母親は連絡してこなかったというミセス・スードの言葉に打ちのめされたままなのです。
新しい家族
養子として迎えた夫婦にも覚悟がありました。
何不自由のない暮らしを約束されたサルーは母親思いの良い子として成長していきます。
タスマニアに来て2年後に迎えた弟は自傷行為を繰り返し発達障害を抱えているようです。
本当の感情を封じ込め今を受け入れることで人生を確立させたサルーとは正反対です。
サルーには感情のまま暴れる弟の方が正直に見えるのでしょう。
養母に対する弟の態度を嫌悪するのは、しまい込んでいたやり場のない怒りと絶望を具現化されているようで腹が立つのです。
その感情は恋人を伴って帰省した夜に爆発します。
円満に家を離れるためにメルボルンに進学したサルーも、感情のまま家を出たマントッシュも養母に対する感謝の気持ちに変わりはないはずです。
最高のキャスティング
本作は近年まれにみるミスキャストのない素晴らしい配役の映画と評されています。
前半部分の重苦しいストーリーを見続けることができるのは、幼少期のサルーを演じたサニー・パワールの澄んだ瞳のおかげです。
初めての演技であの存在感です。初めてといえば前半部分の兄グドゥを演じたアビシェーク・パラトもそうでした。
サルー役を熱望し射止めたロンドン生まれのデヴ・パテルは、映画『スラムドッグ$ミリオネア』で一躍有名俳優の仲間入りをした人です。
養母スーを演じたニコール・キッドマンは、彼女自身の「二人の養子を育てた」という経験に裏打ちされた演技を披露しています。
養父ジョンのデヴィッド・ウェンハムや、恋人ルーシーのルーニー・マーラも素晴らしい存在感を見せました。
実話をもとにした映画にありがちな過剰演出を必要としないキャスティングに成功した時点で、この映画の成功は約束されたといえるのです。
憑りつかれた日々
メルボルンで幸せに暮らしているサルーがグーグルアースと出会い憑りつかれていきます。
養母への遠慮が無くなった今の暮らしの中で、押し殺していた生母への思いがあふれ出したのです。
決壊したダムはもう止められません。
出し尽す以外方法はないのです。
体はここにありながら心はインド上空に飛んでいます。
サルーの目がグーグルアースの『天の目』に重なっていきました。
グドゥの幻覚
グーグルアースでの検索が思うように進まず苛立つたびにグドゥの幻覚が現れます。