今でもグドゥはサルーを探していると言わんばかりです。
幻覚がリアルに浮かぶという演出は、喉元まで出かかっているのに出ないようなサルーの苛立ちをうまく映像化しているのです。
故郷を探す行為は養母への裏切りだとサルーは考え感情の板挟みに苦しみます。
養母への思い
養母のスーは故郷を探し当てたサルーのことを『ずっと旅をしていたのだ』と表現しました。
サルーは5歳からずっと迷子のままだったのだと気づいた瞬間です。
サルーは初めて本心を語ります。
タスマニアに初めて来た日の浴室のシーンが布石だったと判るシーンです。
Lionというタイトル
幼いサルーは自分の名前を『サルー(Saroo)』だと思っていましたが、本当は『シェルウ(Sheru)』です。
その意味こそが『LION』だったということが明らかになります。
最後に「なるほど」と思わせる粋な演出でした。
しかし、そうなると母や兄はどうしてサルーを『サルー』と呼んでいたのでしょう。
『吹替版』も『字幕版』の音声も「サルー」と呼んでいます。
主人公である作者本人もサルー・ブライアリーというオーストラリア名を本名としています。
しかしサルーと再会した老母はサルーを『シェルウ』と呼びました。
ここで考えられるのは『サルーはあだ名』ということです。
幼いころに自分の名前がうまく言えず、それが『あだ名』になるケースは少なくありません。
兄の死の真相を推察
最後にグドゥが天に召されたことが明らかになります。
グドゥがいなくなったその日に別の汽車に轢かれて死んだとだけ表示され、思わず『えっ!』と声に出した人もいるかもしれません。
深くは説明されていない兄グドゥの死を深読みしてみましょう。
仕事中の事故
駅のホームから飛び降りて仕事に向かったシーンを思えば、相当に危険を伴う仕事だと判ります。
何かを運ぶ仕事だとしかわかりませんが事故が起こっても不思議ではなさそうです。
単に線路を横断中に事故にあったのだとしたら、サルーがスイカを運んでいて事故にあったシーンがより深い意味を持つことになります。
サルーを探していた最中の事故
弟思いのグドゥですから、サルーを探し回ったことは明らかですし、そのシーンも出てきました。
必死にサルーを探すグドゥの姿が目に浮かぶようですね。
きっと車両の下まで入り込んで探したことも想像できます。
丁度その時間が発車時間だったとしたらどうでしょう。
グドゥは魂になってもサルーを探し続けたのです。
そして遂にタスマニアの山でサルーを見つけます。
まさに『天の目』です。
弟はITテクノロジーを駆使して兄を探し、兄は魂となって弟を探したとすればこの実話がいかに奇跡的であったかがわかります。
サルーの道
サルー・ブライアリー氏は映画化によって得た資金でインドに孤児院を経営しています。
世界各国でその経験を講演して回り、日本にも来たことがあります。
自分を助けてくれたミセス・スードを支援しつつ、インドの孤児救済に奔走する日々をおくっていますが在住はオーストラリアです。
映画の最後に支援に関するURLが表示されますが、上映終了後しばらくして閉鎖されていました。
サルーの選んだ道は厳しく、その活動は始まったばかりなのです。