出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B081RQBPR7/?tag=cinema-notes-22
『帰ってきたヒトラー』の姉妹作とも言うべき『帰ってきたムッソリーニ』。
ヒトラーと同じく、ファシズムを進めイタリアの独裁者として政権を取ったムッソリーニが今作ではコミカルに映ります。
しかし本作のムッソリーニは、歴史を知っているはずの現代のイタリア国民から支持されている様子でした。
そこにはヒトラーと同じく独裁者としてイタリアを征服したムッソリーニの、人間臭さと言動が関係しています。
それがラストの車でのシーンに現れているのです。一体ムッソリーニの人間性とラストがどのような関連があるのか。
私たち映画の観衆も、まったく無関係ではありません。
あなたも魅了されなかったですか?
本作で登場するムッソリーニは、過去のイタリアから来た人物であり、イタリア国民はムッソリーニをただのコメディアンとして見ています。
映画が展開する中で、ムッソリーニのコミカルな面や人間らしさ、そして話す言葉の内容に一人の人間として魅力を感じます。
その魅力を感じているのは、間違いなく映画を観ている「私たち」です。
ムッソリーニが映画内のイタリア国民だけでなく、観衆である私たちも魅了させるのはなぜでしょうか。
ムッソリーニの魅力1:勤勉さと適応力
過去から来たムッソリーニは、キオスクで一時的に保護され、自分が知らない過去を知るために大量の本を読みます。
私たちは何に驚かされるかというと、ムッソリーニの勤勉さです。ただひたすらに本を読み、自分が死んだ後の歴史を学びます。
その飲み込むスピードが早く、しかも簡単に受け入れてしまいました。
勤勉さや適応力の高さを示すシーンに、ただのファシストでない印象を受けるのです。
ムッソリーニの魅力2:イタリア人
イタリア人男性は女性好きだと言われます。それはムッソリーニとカナレッティがホテルに泊まっていたシーンで発揮されました。
カナレッティの妻に対して、ムッソリーニが口説き文句のメールを送った結果、カナレッティの妻は機嫌を直します。
この女性を口説き落とす姿勢こそ、まさにイタリア人の象徴で、観ているこちらはムッソリーニに人間らしさを感じるのです。
人間らしさを感じるということは、親近感が湧くことに近く、ムッソリーニに対するただ恐ろしいイメージを少しずつ壊していきます。
ムッソリーニの魅力3:愛と友情
ムッソリーニが初めてインターネットを使ったとき、検索ワードに入れたのは愛人だった「クラレッタ・ぺタッチ」でした。
1945年、コモ湖畔でムッソリーニと共に処刑され、遺体はミラノのロレート広場にさらされた。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/クラーラ・ぺタッチ
愛する人を自分の行為で失う悲しさから、ムッソリーニは涙を流していました。さらに次のシーンでは、カナレッティと肩を組んで歩きます。
つまり、このシーンでムッソリーニは人間的感情である愛と友情を見せるのです。
これもやはり、観衆にとっては親近感を感じる内容で、このころにはムッソリーニに対するイメージはかなり変わっています。
ムッソリーニの魅力4:TVやSNSの有用性
適応力が非常に高いムッソリーニは、いかにイタリア国民の心をつかむか考えます。
ホテルではテレビを見つけた瞬間、その宣伝効果の高さを見抜きました。さらに若者が携帯ばかり見ていることにも気づきます。
結果的に初出演のTV番組の視聴者のうち、60%が若者でした。若者はSNSによってつながっていることを見抜いているのです。
私たちが普段使っているアイテムを駆使するムッソリーニに、やはり親近感を覚えます。
政治家として望むこと
ムッソリーニという人物の仕事は何か、というと政治家です。
映画内でもあるように、本作は現代の政治家とファシスト党を率いたムッソリーニが比較されています。
ムッソリーニがイタリア国民に支持されていたのは、私たちが現代の政治家に対して望むことを持っている政治家だからです。
足を使った聞き取り
カナレッティと車で旅をしながら、ムッソリーニは徹底して民衆の声を聞こうとします。
TVに出演した際、司会者から政治方針について聞かれました。
意見を聞き、実行する
引用:帰ってきたムッソリーニ/配給会社:ヴィジョン・ディストリビューション
ムッソリーニは、現代のイタリアの民主主義が腐っていることを語ります。
本来民主主義とは、国民の声を代表者が届け、政治に反映させるものです。
つまりムッソリーニが映画内で語った政治方針は、本物の民主主義を表す方針であるため、イタリア国民に支持されました。