そのことから、元からチャドは山男の存在に嫌悪感を持っていました。
父の愛を知らず、幼くして母親と引き離されたチャドは十分な愛情を受けずに育ったと考えられます。
彼の持つ優越感は、言い換えれば他人への激しい劣等感の裏返しです。
チャドがひたすら自分の手でのアリソン奪還にこだわるのは、一人の力でアリソンを助け彼女に認められたいからです。
そうして助けたいはずのアリソンが憎むべき山男のデイルと心を通わせている。
チャドにとっては許せない事実です。
チャドの怒りは求めている愛情が誰からも与えられなかったことに起因しています。
精神の病の可能性
もう一つ、元々チャドには精神の病があったとも考えられます。
キャンプ場で起こった事件の真犯人はチャドの父親でした。
父親の詳しい人となりはわかりませんが、父親の精神面をチャドが受け継いだ可能性は十分あります。
仲間が何人も死んでいるのに一向に自分の考えを曲げないチャドには狂気が感じられます。
思い通りにいかないことに対する徹底的な怒り。
一見すると凶悪一辺倒の殺人鬼です。
ですがその源流は遺伝した父親の異常性だったのかもしれません。
そうだとしたら、チャドもまた父親の被害者ともいえます。
互いを支え合い実った恋
劣等感を抱えていたデイルもアリソンとの出会いと試練を経て自己肯定感を手に入れました。
誤解から始まった二人の関係でしたが、だからこそお互いが思い込みを捨て成長できた。
この映画はアリソンによるデイルのセラピーの物語でもあります。
人の話を聞かず、どこまでも独善的なチャドのあり方と相手を受け入れ合うデイルとアリソンの姿は対照的です。
チャドの姿は問題を克服できなかったデイルやアリソンの姿と考えられます。
先入観を捨てありのままの相手の姿を見つめ合えたからこそ、二人の恋は実りました。
人生の大切なことが込められた映画です。
コメディや残酷描写といった先入観を捨て、一度楽しんでみてはいかがでしょうか。