無力さをもって終わった「アウトレイジ」は意外にもラストを市川との釣りで飾ります。
それまでの殺伐とした世界から一転してのエンドロールの意味を考えてみましょう。
サイレント映画へのオマージュ
映画史でラストだけ違うカットを用意するのは初期のサイレント映画で目立った傾向です。
代表的なのは「大列車強盗」で、ラストは画面に向かって拳銃を撃つカットで終わります。
北野監督作品だと「あの夏いちばん静かな海」のラストで出てくる沢山の写真がそうでしょうか。
このような映画ファンへ向けたファンサービスの一環として描かれているのことがあるでしょう。
平和であることの尊さ
そしてもう一つ、当の大友自身が本当は誰よりも平和の尊さを噛みしめているのではないでしょうか。
だからこそ表向き暴力描写が多いながらも、そこには反対側の優しさが感じられるのです。
振り子理論ですが、三作かけて散々暴力と復讐を描いたからこそこのラストの他愛ない日常が映えます。
寧ろ暴力と正反対の静けさ、優しさがあってこそ北野映画は完成を迎えるのです。
だからこそエンドロールを他愛ない市川との釣りで終える形にしたのでしょう。
ヤクザ社会と現代社会は表裏一体
暴力ばかりが目立つ「アウトレイジ」シリーズですが、しかし正反対にあるのは我々の社会なのです。
暴対法が出来て風当たりが強くなっているヤクザ社会ですが、それは現代社会の「闇」でもあります。
寧ろ手を下さない形での言葉や権力での暴力が酷い分現代社会の方が悪質かもしれません。
パワハラ・モラハラが社会問題化してますが、それは現代社会から「暴力」を排除した代償なのです。
人間とは誰しもが奥底に暴力への衝動性や欲望を秘めており、無理に押さえると歪なことになります。
そうした現代社会と本作の描くヤクザ社会は表裏一体であり、切り離せない要素でありましょう。
人間から「暴力」は切り離せない
「アウトレイジ」シリーズは「暴力」と「ヤクザ」を通して現代社会の「闇」を描いた作品かもしれません。
大友と彼を取り巻くヤクザ達の醜い抗争に駆け引き、自分がのし上がる為に相手を如何に蹴落とすのか?
そこで逆説的に人間から「暴力」を切り離すことは出来ないという真実が浮かび上がってきました。
大事なのはその「暴力」とどう向き合い、どうその力を我が物として使いこなすのかということです。
本シリーズではそれを最終的に復讐というマイナスの形でしか示すことは出来ませんでした。