ですが反対側にいたサヤカは、フセの姿を見つめるしかありません。なぜフセはサヤカとは反対側に居たのでしょうか。
乗るべき者と乗らざる者
赤い電車が死者をあの世に送り届けるために存在しているのなら、電車に乗れるのはフセだけです。
もしサヤカがフセとの別れを悲しみ、ホームの向こうへ走って行ったなら、彼女も死者になっていたでしょう。
電車は乗る者を選び、生きるべき者が間違って乗らないようにホームを分けていると考えられます。
ぼやけていた境界線
死んだはずのコウイチローとルーの姿を見た経験のあるサヤカは、この世とあの世を行き来する存在だったのかもしれません。
愛犬ルーに会いたいと強く願ったせいで、彼女は曖昧な境界線の上に居たのだろうと推測できます。
ですが今回フセと反対側のホームに立ったことで、サヤカにとってこの世とあの世がきっぱり別れたことを描いているのではないでしょうか。
彼女がこれからこの世で生きていかなくてはいけないというを明確にするシーンだったと考えられます。
突然の別れ
犬は人間より寿命が短く、10年ほどしか生きられないと語られます。
しかしそれは平均値であって、どの犬も同じ年数生きるわけではありません。
この限りある命を、サヤカとフセはどう捉えるべきだったのでしょうか。
当たり前の命はない
愛犬ルーと出会って1年。まだまだ一緒にいられるとサヤカは思っていたはずです。
ですが、明日も明後日も確実に生きていられる命はありません。
人間も動物も不確かな明日を生き抜いているに過ぎないのです。
ルーもコウイチローも寿命からすれば、まだ生きていて当然でしょう。
しかし私たちも忘れがちですが、明日も生きている保証などどこにもないのだと、この作品は訴えているように見えます。
予想外に早い死
サヤカもフセも愛する者の死を受け入れられずにいました。その原因の1つが、予想外に早い別れだったと思われます。
充分に思い出を作り、愛情を注いだのならある程度踏ん切りがつくかもしれません。
そう考えると残された彼らは不完全燃焼になり、悔しさが増していたのではないでしょか。
悲しみだけでなく悔しさも共有できる相手がサヤカとフセだったのだと考えられます。
サヤカだけ残された意味
やっと心を通わせられる相手が見つかったサヤカですが、そんな彼女に再び別れが訪れます。
赤い電車が去った後、サヤカだけが残された意味とは何だったのでしょうか。
生きるしかない
愛犬ルーに続き、良き理解者であったフセまで去ってしまいました。