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小松菜奈さんと大泉洋さんの主演で2018年に公開された映画『恋は雨上がりのように』。
何よりこれは原作漫画・アニメ・映画と3つの方法で物語が表現されたメディアミックス作品です。ラストでは三者三様の結末になりました。
今回は『恋は雨上がりのように』映画版のラストを中心にして見てゆきます。
映画が原作とアニメとは違うラストになった理由とその独自の魅力を比較の上で解説しましょう。
また、なぜ3バージョンのラストが別々の仕上がりになったのか原作者のコメントも参考にして紐解いてゆきます。
原作漫画とテレビアニメ版
『恋は雨上がりのように』は映画公開の数ヶ月前に原作漫画版とテレビアニメ版が完結していました。まずはその内容を見てゆきましょう。
原作のドライで文学的な別れ方
原作漫画は2014年6月から2018年3月までビッグコミックスピリッツ誌上で連載。テレビアニメは2018年1月から3月まで放送されました。
原作とアニメは所々を除きストーリー・ディティールともに似通っています。
しかし女子高生のヒロインあきらとファミレス店長の中年男・近藤との別れ方が違っていました。
原作ではあきらと近藤はドライに別れます。近藤はバイトから外すことをあきら本人に淡々と告げて2人は離れ離れになりました。
しかし近藤が非情な別れを選んだのは彼女の新たな挑戦を応援したいがためということが読み取れるようになっています。
以降あきらは陸上選手の道へ近藤は仕事に専念しました。そして、あきらは陸上大会の最中に近藤を「あの人」と呼びます。
それによって2人の距離が鮮明になります。が、最後には日傘が象徴的な効果を放ち、あきらの近藤への変わらぬ想いが表現されました。
このように原作では思わせぶりで文学的な流れになります。きっぱり別れながらも2人が心の奥深くで繋がっていることが分かるのです。
すっきりしたアニメ版の別れ方
テレビアニメ版においては、あきらと近藤はよりすっきりと別れたといえるでしょう。
近藤は作家の夢を追い、あきらはもう一度スプリンターの夢を追うこと。彼らは互いにそれを約束しあって別れました。
しかしアニメ版にも原作にあったような文学性があります。最後にあきらはバス停で近藤にこう言います。
「雨はもう上がります」
引用:TVアニメ『恋は雨上がりのように』/フジテレビ
これはすばらしく象徴的なセリフです。あきらと近藤の恋はひと言でいえば「雨宿りの恋」とでもいえるものでした。
2人は共に夢から逃げ続けながら雨降りの人生を送る中で出会い、ほのかな恋心の下で雨宿りをしていたといえるでしょう。
最後にあきらは陸上で自己ベストを更新し、近藤は小説を書き上げます。その名も『恋は雨上がりのように』。
お互いに相手から吹っ切れたような印象を与えます。恋の締め方としてはアニメ版の方がすっきりするものだったといえるでしょう。
3つのバージョンの共通点と違い
原作・アニメ・映画の3つのバージョンには根本的な共通点と決定的な違いがあります。1つずつ見てゆきましょう。
根本的な共通点
すべてに共通して2人は恋の発展の可能性もふくませながら別れます。描写方法は異なりながらすべては絶妙かつ後味の良いエンディングでした。
恋が発展する可能性が最も大きいのは映画版だといえます。次に原作・アニメと続くのではないでしょうか。
映画版では続編が作られてもおかしくないような終わり方でした。何しろ映画版では最後に2人はメル友になろうとするのです。
ここからは始まってもいなかった恋愛を1から始めようとする意思も感じられます。年の差カップルに希望を残すラストだといえるでしょう。
決定的な違い
映画版と原作・アニメ版との違いはラストの描写方法だけではありません。その最大の違いは近藤の心理描写にあるでしょう。
原作・アニメともに、近藤があきらに対して湧いてきた恋愛感情とたたかう姿勢が描かれていました。
しかし映画版では近藤があきらへの思いに苦しむ様子はまったくといって良いほど描かれていません。
「橘さんの気持ちには、応えられない。橘さんは、恋愛だけじゃなくて本当にやりたいこととか楽しいこととかあるんじゃないのかな。」
引用:映画「恋は雨上がりのように」/東宝
このセリフに表れているよう、近藤は終始あきらを恋愛対象の外に置いていました。それは好きではないからではありません。