体を張ってでも守り通したいかけがえのないパートナー、それがテツにとってのセンコでしょう。
飼い主でありながら飼い主とペット以上の強い絆を感じさせる内面の熱い人です。
ドライなカナメとの対比
そんなセンコの性格は正に好戦的かつ戦いに関して割とドライな面が目立つカナメとは対照的です。
それはお互いのドローンが同じユキによって奪われたときに大きな差となって現れました。
テツは何が何でもセンコを取り返したいのに対して、カナメはあっさり捨てて新しいドローンに乗り換えます。
また、テツがセンコしか使わないのに対して、カナメは宇宙に衛星タイプの別のドローンまで持っているのです。
このことからセンコとカナメはどちらも表面上クールな性格ながら中身は正反対といえるでしょう。
屋上でのいざこざにしても夜戦にしても大きく違っていたのはそこではないでしょうか。
面倒見が良い
そして前作でも目立ったのはセンコに対してちゃんと言葉をかけ、愛情を持って接していることです。
ユキにも「変なものを食べさせるな」と食事にも気を遣い、揉め事にならないよ立ち去ろうとしています。
シュウとの絡みでも自分のことよりも先にセンコのことを意識した言動・行動が目立っているようです。
このことからそのクールで無愛想な見た目に反して懐に入れた者は何が何でも大切にしているのでしょう。
その普段の言動からセンコへの愛情が積み重ねとしてあり、それがいざという時の行動として出ています。
ドローンと世間の認識
こうして謎を追っていくと、必然的に気になるのがドローンと世間の認識の差です。
あれだけド派手に街中や学校でドンパチをやっているのに逃げ惑う人々の姿が描かれていません。
にも関わらず一度は自衛隊が迎撃しています。これは果たしてどういうことなのでしょうか?
知っているのはごく一部のみ
まず自衛隊が迎撃したことから、ドローンの存在は国など一部の人間達だけが認識しているようです。
というか、世間一般に知られていると揉め事になるから秘匿しているとでもいうべきか。
いずれにしても、一度でも関わってしまうと大変なことに巻き込まれてしまいます。
怪獣が傍に居ながらの命の奪い合いという物凄くシビアな現実が本作の本質です。
街が壊れても所詮対岸の火事
宇木監督自身がインタビューで述べていましたが、街が壊れても何故か逃げ惑う人々は出てきません。
これは平和ボケし過ぎた現代日本の表象であり、自身に差し迫らないと所詮対岸の火事でしかないのです。
皮肉なことに命の重さを一番実感しているのは戦っている当事者のテツやシュウ達であります。
そのようなドライな表現の裏に対する現実への冷めた視線、これが本作における世間の認識でしょう。
没個性で逆に個性を出す
本作は実は考察すべき所はほぼ想像で埋めるしかなく、かといって然程難しいものでもありません。
大体の解答が劇中で与えられるし、組み合わせの要素自体は何も目新しいものを使っていないのです。
登場人物同士のドラマも月並みといえば月並みで特筆すべきものは特別ないのかも知れません。
しかし、本作は敢えて使い古された表現を用いて無個性にすることで逆に個性を出しているのです。
怪獣バトル、SF、生物の遠隔操作と管理、どれもモンスター育成ゲームの延長線上でしかありません。
ですが、それを日常生活の一部にすることでかえって非日常性を浮き彫りにした作品でしょう。
肩の力を抜いて楽しめ、でも考えても楽しめる、そういう塩梅のいい良作ではないでしょうか。